学術書ではない。
つまり。非常に読みやすいってことだ。
ある「日本人論」が書かれたときの時代背景・社会状況を
考慮にいれつつ、
分析がなされている点に好感が持てる。
『菊と刀』や『タテ社会の人間関係:単一社会の理論』といった、
古典の内容が
歪んで理解されていることを筆者は嘆いている。
読んでないのに、「わかったふり」をしている者が多すぎるのだと。
確かにそうかもしれないと、思う。(自戒)
外国にいったときに感じるコンプレックスや、
それに対する反作用としての「愛国」的な感情が、
玉石混淆の日本人論が書かれる動機となり、
内容にも影響を与えているという筆者の主張には、
共感をおぼえた。
『武士道』『風土』『菊と刀』『「甘え」の構造』『「世間」とは何か』などなど、明治以降、数多の日本人論が生まれ、そして消費されていった。その著者ごとのさまざまな視点から「日本」「日本文化」あるいは「日本人」といったものが語られ続けた ― こうした「日本人論」が語られ続けた歴史的状況に対し、文化人類学者である著者は、「では、なぜ「日本人論」というものは語られ続け、生産され続けたのか?」を問う。そこで浮かび上がってくるのは、近代日本という否応なく外国という他者の目に晒されることとなった状況の中で、絶えず「自分とは何者なのか?」との不安にさらされることとなった日本人のアイデンティティの動揺する姿である。この本はこれまで書かれてきた日本人論を通して日本人を語ろうとする、いわば「メタ「日本人論」論」とでも言うべきものだ。
明治以降21世紀の現代に至るまでのおもな日本人論(あの「プロジェクトX」まで!)を概観しつつも、単なる概説書にはとどまらず、著者独自の観点もあちこちに入っており、読みごたえがある。とは言っても、内容は決して晦渋・難解なものではなく、一般読者向けに平明に書かれている。学生・社会人に対してのみならず、大学受験を控えた受験生にもぜひ一読を勧めたい(これを読んでおくと、現代文・小論文の課題文理解でだいぶ助かるだろう)。
少なくとも、この本を読んだ後では「日本人とは…」と安易な言葉は口に出せなくなるだろう。