FESTINA LENTE
★★★★☆
カエサルが突如暗殺されたせいで、まだ10代のうちから表舞台に引っ張り出され、権力闘争に巻き込まれたオクタヴィアヌスも中年期にさしかかる。
いつの間にやらすっかりアウグストゥスの呼称が定着している彼は、共和政維持のふりをしながら、
ゆっくりと巧妙に帝政を確立していっている。文庫版15巻はそのアウグストゥスの政策を引き続き紹介していく。
まず、女は子どもを3人産んで初めて税が免除されるというすさまじい少子化対策や、不倫を断固たる罪にしたりする改革を行う。
「綱紀粛正」でも後世に有名なアウグストゥスだけに、その断固とした改革は結婚離婚を普通に繰り返すものであったローマ社会を変えてしまう。
また、平和を目指すことを強調する「平和の祭壇」もつくられるのだが、その見事なレリーフは本書中のモノクロ写真でもたっぷり堪能できる。
やがてアウグストゥスはカエサルの考えたローマの国土を拡張することにし、ゲルマニア征服を始めるが、
アウグストゥスの右腕たちはどんどんいなくなっていくのであった・・・
「ゆっくりと急げ」のモットー通り、したたかに帝政への足固めをしていくアウグストゥスの統治がわかりやすく興味深く描かれている。
納得しないかぎり成功はない。
★★★★☆
アウグストゥスがローマに平和を齎す迄を描いた中巻。
紀元前18年〜紀元前6年までの出来事。
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表上、元老院体制による共和制、
寡頭政治を続けつつも。
実際の権力はアウグストゥス一人が握る、
という帝政へ静かに以降するアウグストゥス。
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『いかなる事業も、それに参加する全員が、
内容はそれぞれちがったとしても、
いずれも自分にとって利益になると
納得しないかぎり成功できないし、
その成功を永続させることもできない。』
というマキアヴェッリの引用が印象的。
そしてアウグストゥスの政策についての
作者のひとこと。
『アウグストゥスは、妥協したのではなく、
欺いたのである。
共和制しか見ようとしない人々に、
ならば見つづけたら、
という態度で臨んだに過ぎない。』
とても政治的な態度。
妥協ではない。
実際帝政だとしても、表面上、共和制であれば、
それは妥協ではなく納得に繋がる。
たとえそれが欺瞞であったとしても。
いつの時代も変わらないのが政治であり、
大衆なのか。
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ローマの防衛システムは、
あくまでも陸が「主」であり、
海は「従」であった理由を言及した箇所。
『ローマ人自らが何やら開き直ったかのように言った、
「まっとうなローマ人ならば海を恐れる」に示される
ローマ人の性向。』
海が苦手なローマ人。
開き直りのローマ人。
笑った。
発展的無表情
★★★★★
いよいよアウグストゥスがローマの平和を実現させるべく、
ローマ全土のリストラとインフラ整備に乗り出す激動史。
といっても内政事業が大半を占めているので、
父カエサルのような劇的なドラマトゥルギー性はない。
しかし、内部を固めると言うことはこう言うことなのだなと思わずにはいられない、
深謀遠慮の極みの成せる業。
ローマ帝国初代皇帝の基礎固めから発展への道のりはかくも地味であるが、
地味なだけに組織運営の最も良い参考書。
徳川家康など目ではない。
アウグストゥスの改革と血へのこだわり
★★★☆☆
本書の大半が、最高権力者の地位と権力を手に入れたアウグストゥスによる改革、とりわけ軍政や税制などの内政改革についての記述となっています。塩野氏が言うとおり、アウグストゥスの改革は慎重かつ巧妙に行われたために、帝政アレルギーをもつ元老院派とのせめぎあいなどが描かれる訳でもなく、正直、退屈に感じられる内容でした。
それでも後半は、アウグストゥスを永年支えてきたアグリッパ、マエケナスの死、有能な後継者ティベリウスと親友アグリッパの子でもある孫への愛情をめぐる血統に対するこだわりなど、アウグストゥスの人間らしさが少しずつにじみ出てきます。アウグストゥスの生涯を、単なる帝政を樹立した歴史ものという視点だけでなく、ヒューマンドラマとしても続きを読みたくなる内容になっています。
天才と秀才
★★★★★
カエサルの大活躍には 塩野七生も躍動感と熱狂を持って語った。まるで 彼女自身が歌い踊っているかのような。これは 塩野が カエサルに恋をしているからである。恋する男性に対して歌を歌う姿も ある意味で すがすがしい。
一方 アウグストゥスの時代となると 塩野もまた きちんと座り 語り口も冷静になる。まるで 特に事件も無かったニュースのように。
但し そんな「ニュース」を作らず 静かに物事を進めたのがアウグストゥスだったのだと思う。塩野は 彼の用意周到さを じっくり書き出している。本巻の静かな雰囲気は アウグストゥスと塩野自身の共同作業の結果なのだと思う。
僕は思うのだが カエサルよりアウグストゥスの方が参考になる。カエサルは天才であっただけに これを真似することは不可能だ。一方 アウグストゥスは努力する秀才である。これは真似する価値があるのだと思う。
本巻ではアウグストゥスが 共和制という幻想を掲げながら帝政を引いていく姿を描いている。これは 組織論として読んでも 無類の面白さだ。塩野自身も そういう読み方を期待しているのだと思う次第だ。