日本語になった翻訳詩
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永井荷風の傑作。翻訳詩といえば、鴎外、上田敏の古典的偉業があるが、時代的には余り隔たっていない荷風の偉業。何が凄いかといえば、ボードレールやアンリイ・ド・レニエが見事なまでに平易な普通の日本語の詩として登場していることだ。翻訳詩については、特に戦前の労作は、いずれも単なる翻訳ではなく、そこに「言葉の実験室」を見出し、新しい日本語を作り出そうという明確な革命的な意図があったと思う。だから今日からみれば何だか背負いすぎていて、全く感覚的に駄目な翻訳詩もある。小林秀雄のランボウ詩集なんかは、私にはそう感じた。上田敏の「海潮音」は今となれば、形式的に過ぎるきらいはあるが、見事な創造性は明らか。北原白秋という古今無双の大詩人を生んだ。だが、この「珊瑚集」の影響などについては私は知らないが、荷風の膂力によって、単なる「言葉の実験」に堕さずに生きた「詩」として再生している。恐らく白秋、朔太郎など同時代人には勿論、西脇順三郎や中原中也などに何らかの影響を及ぼしたのではないだろうか。この辺り遅ればせながら少し追ってみようという気になった。