さて歴史が「過去と現在の対話」であると信じる愚生には、「現在」を直視しないで「東京裁判」という過去の事実を単純に考えることは出来ない。
細かいことだが、本書にはそもそも「A級戦犯」の定義が書かれていない。それを愚生が説明する余裕は無い。
が、この裁判から50年を経てハーグに設立された「国際刑事裁判所」に関する条約には、「侵略」こそ定義づけの難しさから保留されているが、「東京裁判」の核心である部分は明確に国際法化されている。「東京裁判」は多くの問題があったけれど、その精神を止揚して現実化する知恵が人類にはあるのだ。
その一方で人類は富の極端な格差を抱えつつ、環境問題、エネルギー問題と、まさに「文明の岐路」にある。世間ではやる「歴史論争」は愚生には「木を見て森を見ない」部類に属す。
唯一の「超大国」となったアメリカは「自国の兵が訴追される」(アブグレイブでの捕虜虐待を見よ。戦場で「正気を失う」のは日本軍だけでない)という身勝手以外の何者でもない理由で新しい「司法の場」への署名を撤回した。日本は批准はおろか参加署名もしていない。
『過去に学べぬ』自国を恥じる。
判決が近づくにつれ、「国のため」と団結していた被告の中に亀裂が生じて行く様が哀しい。陸軍被告、
海軍被告の言い分、外交官、文官の言い分、そして死刑を免れたい者、「私には責任があるのです」と
達観したもの。弁護側への仕打ち(ほとんど資料が渡されない、情報も手に入らない、裁判記録から連合国に
都合が悪い記述[原爆の記録など]が抹殺される、日本人弁護人は無能呼ばわりされる)は、「東京裁判」
に疑問を持っていたレビュアにも衝撃だった。さらに、裁く側でも天皇告発をめぐり必死の裏工作が進む‥。
資料として、どのように死刑判決が決まったかを示す推定表もあり、興味深い。コンパクトながら
裁く側と裁かれる日本人の心情がくっきり浮かび上がる好著。
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