ベティとフランツの間には複雑にあざなう関係が、このクリスマス旅行のはるか以前からあったことが推し量られます。「ずっと喧嘩するって誓える?」とベティは尋ね、フランツは「おまえさんなしでもステキに生きていけるさ」と憎まれ口をたたきます。この二人は「どうでもいいくらい」昔に別れた男女ですから、もちろん仲良しというわけではありません。それでもこんな口の聞き方を今も互いに許しあっている大人の関係を保っているということもいえます。
そして先回りして言うならば、この掌編で二人は結局すれ違ったままに終わるのですが、それでも決して死ぬまで二度と会うことがないというほどの重大な事態が訪れたわけでもないということがわかります。
ことほどさように、この物語の始まりと終わりは明確な実線で区切ることが出来るものではありません。長い人生の途上の一部分を切り出してみたところで、その前と後にもやはり物語は続いています。私がたどってきた道のりが私を作り、そしてこれからたどる道のりがこれからの私を作っていく。今このときだけが私を作るわけではない。そのことに気づかせてくれるのが豚のエーリカというわけです。
確かな想い出と、何かを予感させる未来。今立ち止まったこの瞬間に、この二つを肯定的に胸に抱くことが出来る人生でありたいものだと、この物語を閉じながら思いました。
主人公の女性が感じているであろう迷いや、ピンクのブタエーリカとと一緒にいることの喜び、そしてこれまですごしてきた人生を振り返る様子などが静かに、そして辛辣に語られていて、作者はもちろん、翻訳もすばらしいと思いました。
日本の絵本に“セックス”って言葉が出てきちゃうのってないでしょ。
最初は“生きることの隠れた意味”のがちょっとオオゲサかなと感じたのですが、読後はしみじみなっとく。
なにかキッカケさけあれば、自分の生きる喜びってのは簡単に見つけられる。それが、この主人公にとってはピンクのブタ、エーリカだった。
けれど、結局、それはキッカケだけで、あとは自分の心持ち次第。読後は、せつなくもすがすがしい。
語り手である女性は、ある年、狂ったみたいに働いてお金は稼いだけれど、まるで「生活するのを忘れてしまったかのよう」ないやな1年を過ごします。
そんな年のクリスマス前に出会ったのがエーリカでした。
父親が亡くなって悲しかったこと、病気で手術を受けなければいけないけれどそれが怖いこと、お互いを傷つけるだけの昔の恋人、娘が家にいてもいなくても気づかない母親、そういった悩み事や悲しみを抱えて生きている語り手の気持ちが、エーリカとの小さな旅を通して、淡々とした文章で語られます。
非常に抑制の利いた文章なので人によっては物足りないと感じるかもしれませんが、逆にセンチメンタルに流れるのをふせいで、静かにしみてきます。
(テキストのドイツ語はどういった感じなのでしょう…?)
挿絵が素敵なだけに惜しい。挿絵だけなら5つ星です。