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スポーツ解体新書 (朝日文庫)

価格: ¥651
カテゴリ: 文庫
ブランド: 朝日新聞社
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野球の起源は欧州にあった? ★★★★★
スポーツノンフィクションのような特定の試合や選手についてではなく、スポーツ文化について知りたい人に向けられた良書です。
近代スポーツの多くはなぜ英国発なのか。ベースボールやアメリカンフットボールのような米国のスポーツと、ラグビーやサッカーのような欧州のスポーツにはどのような特徴と差異があるのか。野球発祥の地はクーパーズタウンではなかったのか。野球のWBCに日本が参加することで得をするのは誰なのか。こうしたことに興味がある人は、示唆に富んだ指摘や考えるヒントを見出すことでしょう。スポーツ団体のお偉いさんや選手ではなく、古今東西の文献の精読に基づいた記述には厚みがあります。
日本におけるスポーツについて、著者は2つの問題点を指摘します。ひとつめは、その行為自体を楽しむべき西洋のスポーツを、教育目的の「体育」として受容してしまったこと。もうひとつは、プロ野球をはじめとする日本のスポーツ界で企業の論理が強すぎるという現状です。言い換えれば、スポーツ自体の魅力より、教育だとか企業利益だとかスポーツ以外の論理がスポーツを利用しすぎており、それが長い目で見ればスポーツの魅力を損ねてしまうというわけです。
すでにそれなりの歴史を持つ日本のスポーツ文化の問題点を一朝一夕に変えられるわけではありませんが、各自が問題意識を持つことが変化への第一歩なのは間違いありません。
スポーツは楽しんでやるものである ★★★★★
スポーツには我慢比べの要素があります.
ですが,人はなぜ我慢をしてまでスポーツをするのか?
それは,スポーツで得られる達成感が「楽しい」からです.
野球を例に取れば,ホームランを打って「楽しい」,
相手を三振に打ち取って「楽しい」,
そう思えるから,またそうなりたいから
苦しい走り込みにも耐えられるわけです.
したがって,スポーツの本質は「楽しい」ことであって
けっして「苦しいことを我慢する」ことではありません.

玉木氏はこの「楽しさ」こそ忘れてはならない大事な要素であると主張しています.
もし「苦しいことを我慢する」ことをスポーツの本質だと思ってしまうと
親や教師から強制されてやる本人にとっては苦しいだけのトレーニングもスポーツだということになってしまいます.
そうではなくて,自分が楽しいからやる,やりたいからやる.
それが大事なことなんだと.
それが玉木氏の「スポーツの本質とは遊びである」という言葉の意味だと思います.
スポーツを知りたい人は本書からだが ★★★★☆
スポーツについて論じられた書籍が世に出回ることは少ない。あるのはスポーツの方法論か専門雑誌くらいである。超大型書店に行ってみると初めて「スポーツ」と書かれた箇所で細々と遠慮気味に置かれている程度だ。しかし、大学の図書館などに行ってみるとそのような類の書籍や論考が溢れんばかりにある。スポーツを専門に研究している学者も意外に多いが、それらの成果が中学や高校、一般レベルにおりることはほとんどない。要するに閉鎖的なのである。これはいかに日本にスポーツ文化が根付いていないかを如実に表している。
本書は書かれていることの多くは基本的なことではあるが、大学や一部の競技関係者たちによって独占状態だったスポーツ文化の知識を大衆レベルにまで拡大したその功績は大きい。中高生でも読める文体なのでとりあえずスポーツについて知りたいと思った人は本書を手に取るのが堅実だろう。
翻って(?)、本書の気になる点。筆者は野球好きの野球批判者だからなのか欧米の地域密着型のクラブチームをそのまま日本に当てはめようとしている節がある。しかし、地域密着型というと聞こえはいいが閉鎖的な部分が多分にある。欧米ではもともと家族への帰属心が非常に強いし、キリスト教という明確な指針もあったので成功しただけかもしれない。逆に日本では高度経済成長以降、共同体は悉く破壊され、人数だけの集団となっているほとんどだ。宗教に関しても、戦後まもなくから無宗教という人種があれわれる国民性だ。そこで地域密着型のクラブは成功するのか?私見では微妙というほかにないが、取り越し苦労であることを願うばかりだ。
日本のスポーツ文化に対する偏見と悪質なデマ ★☆☆☆☆
本書の著者・玉木正之は

「スポーツは基本的に単なる【気晴らし】であり【遊び】なのに、

勝ち負けにこだわったり、スポーツに忍耐を要求する日本のスポーツは間違っている

それ故に日本のスポーツ選手は世界で勝てない云々」と主張しています。

しかし、

■「遊び」と「文化」に関する不朽の名著

「ホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯(中公文庫)」の中で著者のホイジンガは

「現代の組織化、職業化されたスポーツは【遊び】の要素をほとんど失っており、

現代スポーツは遊びの領域から遠ざかった結果、記録等が飛躍的に伸びた」

と指摘する一方で、

「古来から【遊び】には【我慢比べ(競争)】の要素が必ず含まれており、

特に近代以前の戦争は【遊び】の要素を極めて数多くそなえている」と述べています。

本書の著者玉木正之の主張とは全く裏腹に

「我慢比べ(競争)こそが遊び(スポーツ)の本質だ」というのが現実です。

玉木という異常な人間の目的は、

スポーツに本気で取り組んでいる日本の若い人たちから、

「試合に負けて悔しいと思う気持ち」を完全に奪い去り、

日本の競技スポーツを崩壊させることです。

玉木の詐欺的な詭弁を日本の若い人たちが「本当だ」と信じ込んでしまえば近い将来

日本の各競技のナショナルチームが五輪やW杯に出ることさえできなくなるのは確実です。

そうなった時に玉木はこう言うでしょう、

「スポーツは【遊び】であり【気晴らし】なんだから五輪やW杯に出られないからってガタガタ騒ぐな、日本人はスポーツが分かっていない」

日本のスポーツ指導者の皆様やスポーツ選手の皆さん、

どうか玉木の詐欺的な愚論に騙されず、

御自分の頭で「日本のスポーツ文化の素晴らしい部分」に関して学び、考えてください。
◆日本のスポーツ文化に対する偏見と悪意に満ちた愚論 ★☆☆☆☆
本書の著者・玉木正之は

「スポーツは基本的に単なる【気晴らし】であり【遊び】なのに、

勝ち負けにこだわったり、スポーツに忍耐を要求する日本のスポーツは間違っている

それ故に日本のスポーツ選手は世界で勝てない云々」と主張しています。

しかし、

■「遊び」と「文化」に関する不朽の名著

「ホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯(中公文庫)」の中で著者のホイジンガは

「現代の組織化、職業化されたスポーツは【遊び】の要素をほとんど失っており、

現代スポーツは遊びの領域から遠ざかった結果、記録等が飛躍的に伸びた」

と指摘する一方で、

「古来から【遊び】には【我慢比べ(競争)】の要素が必ず含まれており、

特に近代以前の戦争は【遊び】の要素を極めて数多くそなえている」と述べています。

本書の著者玉木正之の主張とは全く裏腹に

「我慢比べ(競争)こそが遊び(スポーツ)の本質だ」というのが現実です。

玉木という異常な人間の目的は、

スポーツに本気で取り組んでいる日本の若い人たちから、

「試合に負けて悔しいと思う気持ち」を完全に奪い去り、

日本の競技スポーツを崩壊させることです。

玉木の詐欺的な詭弁を日本の若い人たちが「本当だ」と信じ込んでしまえば近い将来

日本の各競技のナショナルチームが五輪やW杯に出ることさえできなくなるのは確実です。

そうなった時に玉木はこう言うでしょう、

「スポーツは【遊び】であり【気晴らし】なんだから五輪やW杯に出られないからってガタガタ騒ぐな、日本人はスポーツが分かっていない」

日本のスポーツ指導者の皆様やスポーツ選手の皆さん、

どうか玉木の詐欺的な愚論に騙されず、

御自分の頭で「日本のスポーツ文化の素晴らしい部分」に関して学び、考えてください。