青壮年時代の芭蕉の実像に迫ろうとする
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俳聖と崇められた芭蕉の前半生の空白を埋める。40歳までの実人生を推測する。
三つの発見。その1、妾寿貞(芭蕉詠追悼句あり)がいた。その2、許六宛芭蕉書簡の桃印が芭蕉の子(?)は否定。その3、伊賀上野の古地図から実家松尾家は、農人であった。しかし、まだまだ大半は不明のままである。乏しい資料を手がかりにいくぶんなりとも明らかにしようとしている。出生地に関する異説、二度の改名、空白の系図。『竹人全伝』によれば芭蕉の母は伊予愛媛県出身。『芭蕉翁系譜』によれば父は「作り(農耕)をなして一生を送る」士分になるのが困難だった時代、小作で生計を立てていた。次男として武家(藤堂家)奉公(家族のお供から縄綯いまで)に出る。主人蝉吟は「寵愛すこぶる他に異なり」一番の俳諧(今日のゴルフに類似)の相手をする。『源氏物語』など古典文学の講義を受ける。蝉吟25歳の若さで死後、江戸に出る。才気縦横、無名の俳人時代があった。神田上水の委託作業「小石川の水道を修める」浚渫作業、数百人を動かす処世の才があった。西山宗因との出会いがあって、奇抜な俳諧興業に参加、不羈奔放な若者を惹き付ける。やり手として江戸俳壇に躍り出る。
41歳で転生、旅に出る芭蕉、それ以前の芭蕉の俗人として生きる姿に迫ろうとする一書である。