この話の原典ともいえるゲルマン神話伝承では,クリームヒルトよりブリュンヒルドの方が主役です。さらにゲルマン神話伝承では,ブリュンヒルドはジークフリートの恋人で,ジークフリートの火葬の際に,自分も火の中に飛び込んで果てる烈婦です。
そちらを先に知っていた僕は,「ブリュンヒルドはジークフリートが好き」という意識が常に働いてしまい,彼女のセリフの一つ一つを裏読みしていました。つまり,彼女の行動は,屈辱からではなく,愛と嫉妬ゆえの行動だというわけです。
当然,作家は原典の伝承を知っているわけですし,あながち間違った読み方とも思っていません。
この本の後編では全く活躍しませんが,2度目に読むことがあったらは,クリームヒルトではなく,ブリュンヒルドに注目して読み直してください。
夫のために一族皆殺しにするクリームヒルトより,嫉妬のために好きな人を殺してしまったブリュンヒルドの方が,むしろ共感できるかもしれません。
前編では、絢爛豪華なジーフリートの栄華と美徳が、女どおし(クリエムヒルトとブリュンヒルト)の些細な虚栄心から、もろくもうち砕かれる様が描かれ、後編では、復讐に燃えるクリエムヒルトと、その復讐の火に焼かれ、自らと一族の滅亡の運命を予言されながらも必死に抵抗しようとする騎士ハゲネの姿が描かれます。
神話的な英雄の世界、名誉と美徳を重んじる中世的な騎士道精神、そして、高慢から身を滅ぼすこととなる人間の姿が絶妙にブレンドされて、リズムのよい叙事詩として描かれています。
不思議なのは、どちらかというとクリエムヒルトに同情的に描かれている前編に比べ、後半は、その敵であるハゲネの活躍を中心に、クリエムヒルトが徳を失った単なる復讐者として描かれていることです。
現代的な小説の感覚からすると、あくまでクリエムヒルトの復讐を美徳として描く方がしっくりとするのですが、これは時代と文化的背景の違いなのでしょうか。
同様の登場人物が、違う役割で登場するワグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」も併せて観てみると面白いかもしれません。
また、免れ難い滅びを目前にしつつもなお死力を尽くして戦いを挑む勇者たちの姿は、運命の力に雄々しく抗おうとする気高さを象徴しているように思われ、この物語の英雄主義にいっそうの華を添えています。読みすすめるにつれ思わず力が入ってしまい、自然にシリアスな気分になってしまいますが、そうした点も含め、ゲルマン民族の典型的な心象風景が描き出す華麗なタペストリーと言えるのではないでしょうか。
なお、「フン族のアッティラ」といえば中世欧州を恐怖のどん底に陥れた恐るべき異教の大酋長というイメージが一般的だと思いますが、この物語ではエッツェル(アッティラ)王は高潔で仁慈の騎士として描かれており、この扱い方に興味を覚えました。これもやはり異教時代のサーガの痕跡なのでしょうか。