後期アルトーのラジオ作品
★★★★★
アルトーは、あの苦痛の精神病院からパリに帰り精力的にノートを書き続けた。後期アルトーの始まりなのだが、この時期は、前期に比べまとまった著作を書いていないように思う。だから、本書に収められた2作品は大変重要なものだと思われる。とくに、「神の裁きと決別するために」は、アルトーが指揮をとり作られたラジオドラマの脚本である。もっとも、彼の肉声を聞くことが出来ればよいが(ぺヨトル工房より出版されたときはテープがあったように記憶しているが)、まず内容であろう。詩人であるために色々と言語的な制約が生じるけれども、それを言うよりも前に読むことだろう。それは、何かSF的な感じもするが、予言のような気もする。しかし、やはり「思考の不可能性」という根底的なアルトーのテーマは、ここにも流れている。
「ヴァン・ゴッホ」は、新訳であるから筑摩から出たものを読んだ人も、読んでいない方も楽しめると思う。
本書が出版されたことによって、アルトーの前期から、後期にかけてのある程度の著作がそろったようなので、一度著作集と、他の文庫を読むことを通し、直接アルトーの言葉を読むことで、日本人の新しいアルトー観が生まれてくるのではないだろうか。
現代におけるアルトー再発見の機会
★★★★☆
好きなフランスの作家を三人あげろと言われたら、今の僕ならヴァレリー、ブランショ、アルトーと答えます。多分ドゥルーズとガタリの『アンチ・オイディプス』経由でアルトーを読まれる方が多数いるだろうと思いますが、ドゥルーズとガタリはアルトーをそれこそ装置として利用しているだけです(もちろん肯定的な意味です)。読まれた方なら分かると思いますがアルトーと言うのが彼らにとってはかっこうの道具になったわけですね。ドゥルーズ=ガタリ経由で新たにアルトーを読んでみようと思われる方は両者を一度切り離してから始められる事をおすすめします(あくまでおすすめですので強要ではありません)。最近はアルトーの著作物が容易に手に入るようになっていますので(余談ですがヴァレリーとブランショも同様ですね)、これを期に多くの方がアルトーの血の通った奇妙かつ切実な魅力を再発見していけるだろうと思います。他には『ヘリオガバルス』が個人的にはとくに面白く読めました。
カバーに惹かれて。
★★★☆☆
読んだ。
フランス人か。
実際に生きて、動いていた人だとは思えないほど、斬新、芸術的。
個人的には衝撃を受けた。
わからないところもあったが、刺激的だった。
でも、「正常な」心理状態では読めない本だとも感じた。
「まともな」人には読めないような気がする。
そんな後、同文庫からでた『アンチオイディプス』を目にしたが、その中で言及されていた。近代哲学者の幾人かにインスピレーションを与えた人間なのだそうだ。
その筋では有名なのかな?
そんなこんなで、一般的では無いが、はまれば、はまる本だと思います。