書かれた年代もバラバラなのだろう。新しく発掘された史料や証言を嬉々と書きながら、次の文章では違う論を立てている。
その細かな探求だからこそ、一つの本の中で矛盾も生まれる。
江戸末期の地図や、警視庁から出された史料を駆使して、なんとか斎藤一像を結ぼうとする著者の姿勢は涙ぐましい限りである。
新撰組時代の斎藤一を浮き出させる史料の少なさと、藤田家史料における新撰組時代の記述が少ないためか、明治に入ってから、藤田五郎としての斎藤一にウェイトが行ってしまうが、それもまた、著者が史料を活かそうとした結果なのだろう。
語らなかった男の研究が、いかに難しいかを物語る一冊である。
斎藤一の魅力といえば、新撰組の生き残り隊士でありながら、その出自、ネットワーク、行動の数々に多くの謎を抱えたまま、世を去った寡黙な実力派という部分。この本では斎藤一=藤田五郎の子孫に取材し、藤田家の系図や口伝を紐解くことによって斎藤一の実像に迫っています。これだけ斎藤一のみを深く追求した本は他にないでしょう。
ただ、藤田家から糸口を探っているために、明治の藤田五郎に関するウェイトが高く、維新前の斎藤一に深く触れきっていないところと、随所に私見と私事が入り過ぎるのが難。逆に、それだけ肩の凝らない研究本ともいえるので、斎藤一ファンなら著者の心理もよく理解できるのではないでしょうか。