「本を通して人を感じなさい」
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この書評を読んでいる方は少なからず本が好きな方だと想像する。あなたは「本を愛しなさい」と言われたら、なにを思うだろうか。
一冊の本とその著者を紹介する「肖像画」のような文章が10篇。雑誌「図書」に連載され、単行本「散歩する精神」にも収められている作品だそうである。取りあげられた作品を既に読んでいるなら、その作品がこんな風にでも書かれたのであろうか、作者はこんな思いで書いていたのだろうか、とその本の背景が膨らんでくる。バージニア・ウルフが、ブレヒトが、どんな情景の中で作品を練っていたのか。まだ読んでない本も、こんな風に生み出された本がある、と誘ってくれる。オルダス・ハックスリーの亡くなったのがJ.F.ケネディの暗殺された日だと示されてみると、それは時のつながり、広がりを教えてくれる。
「本を愛しなさい」は本書の冒頭に掲げられた短い詩の最初のことばでもある。
本を愛しなさい、と
人生のある日、ことばが言った。
そうすれば百年の知己になる。
見知らぬ人たちとも。
風を運ぶ人とも。
死者たちとも。
谺とも。
アイルランドの詩人、ビーハンをとりあげた「吟遊詩人よ、起て!」からも引用しておきたい。「歌は単に歌であるだけでは足りないのだ。歌一つで、人は、たぶんこころのどこかしらで、他の人びとと生きる場所を分けあっている(p131)」。この文の「歌」を「言葉」に、または「本」に置きかえてみると、長田弘さんの伝えたいものがよりはっきりと見えてくる気がする。いろいろな「本」があるけれども、本というものは時間を超え、場所を越え、深いところや浅いところで他の人びととつながりあう手段のひとつであるということ。
「本を愛しなさい」は、「本を通して人を感じなさい」と、さらには「人を愛しなさい」ということにでもなるだろうか。あるいは、「人を感じさせてくれる本を大事にしなさい」であるかもしれない。
著者の文章は、いつもそうなのだが、静かに、読み進むにつれ、大事な問いかけをゆっくりと洗い出してくれる。