アメリカ追従の意味が強かった英語教育強化が,10年後,アジア全体が英語を話し始めたときまったく別の状況になることを思い知らされます。
いま小学校で英語を聞いて育ちつつある子供たちが,10年後には大学生になるでしょう。そのころ,その青年たちが日本に国際交流だと称してやってきたら,韓国とマレーシアの青年は共通語がないので英語で話すでしょう。中国人とベトナムの青年もそうするでしょう。そうやって盛んに英語で話をしているアジアの青年たちの傍らで,日本の大学生は,その話についていけず,自分の考えを英語で伝えることも出来ず,呆然と立ち尽くしていることになる。
英語はもはやアメリカ追随の言語ではなく,世界に語りかける言語なのです。
力もない、洞察もない、
危機感も使命感もない、
あるのはTOEICから逃げ回る口実を考える意欲だけ。
その日暮らしの英語教師のおかげで、
日本だけが取り残されていきます。