もちっと再評価されてもよいかも…
★★★★☆
初期の曲とこのあとの曲しか聴いたことなかったけど、
この時代やばいですねぇ。。
才能がバシバシみなぎってる感がすごい!
初期も好きだったけど、この時代の曲と比べると
よくも悪くも歌謡曲のフォーマットにまだ収まってる感じ。
ここの曲は、洋楽にインスパイヤされた日本人ミュージシャンの
曲としては最高峰かも。
洋楽マネしてるひとにありがちなダサさはほぼ皆無だし。
逆にもっと日本人っぽくベタ〜としたほうが
売れたのかもしれないけど。。
いや、もったいないですね、ほんと。
「Woo Lady Stop」なんて超名曲!!
日本人がこんなR&B作れるとは…ってちょっと感動ですよ
不当な扱いを受けてしまった技術者集団
★★★★☆
原田真二&クライシス。このバンドは本当に存続してほしかったバンドだった。この時期の原田はアイドル・ポップス歌手というレッテルを払拭せんがために必死だった時期で、それまでの「シンジバンド」からドラムスとベースをバンドに残し、元スペースサーカスの豊田貴志、当時売り出し中だった豪腕ギタリスト北島健二を率いて結成したのがクライシスだった。この強力なラインナップのもと、T-Rexばりのグラムロックやスペーシーなインスト曲、さらにはUKを思わせるハードプログレ…と、とにかくがむしゃらに我が道を突っ走っていた時期でもあった。ジョン・レノンの悲報が飛び交った夜、TV番組『ミュージック・フェア』で見せた13分にも及ぶ「ストロベリー・ナイト」のロング・バージョンでは、各メンバーのソロに続きナント演奏の途中からメンバーが楽器を持ち替えてプレイし、そして楽曲が終わるという、非常に緊迫したハイ・レベルの演奏が圧巻だった。これは日本のTV番組で初めてプログレッシヴ・ロックが電波に乗った瞬間だったと理解している。このクライシスは、完全主義者・原田の高い要求に対し、各メンバーが見事に対応し消化しきっていた、言わば「絶頂期のミュージシャンの集合体」だったのだ。極限のバンド・アンサンブルでグイグイ押す非常に稀な「技術者集団」だったわけだ。もしこのメンバーのクライシスが3年、4年…と続いていたら、日本のロック界に語り継がれる存在に絶対なっていたはずだ。その意味でもポリドール時代のクライシスを紹介するならば、このようなベスト盤ではなく『Human Crisis』『Entrance』を再発し、そしてこの時期のライブ音源をCD化するべきだ。ベスト盤では焦点がボケてしまい、原田真二&クライシスの「本当の姿」は見えて来ないからである。
「LIFE」single version1曲だけでも聴いて欲しいなぁ…?世の中良くなると思うんですけれど…
★★★★☆
1958年12月5日年生まれの原田真二が「LIFE」1981年4月21日リリース時、22歳だなんて…?
「そうさ…どんな時にでも夢を…」とエネルギーに溢れた宝石のようなこの1曲は、衰える事なく未だに私の心をKNOCKし続けてくれています。皆さんはどうですか?…MELODYが湯水のように溢れだしているポリドール時代2年間「HUMAN CRISIS」「ENTRANCE」「Merry Christmas」+4枚のsingle=計全34曲の中から厳選されたALBUMがこの1枚です。この計算で行くと1ヶ月に約1.5曲のペースで原田真二はリリースをしていたのだからWRITERとしても油の乗っていた時期と云っても過言ではありませんね。商業ペース時代から本来の自信の音楽への挑戦の時期とも捉える事が出来、ロック、ポップ、クラシカル、ハードロック、プログレ、を通して360度挑戦している2年間は実に濃度の高い曲が多い事多い事。…選曲に疑問が残ったライト・コレクションが廃盤である今、Stevie Wonderが乗り移った『I wanted to stay in love with you』までも聴けるこの1枚はとても貴重な側面も持ち合わせていたりします。元気のない貴方、「LIFE」single version1曲だけでも聴いて欲しいなぁ…?世の中良くなると思うんですけれど…