ぐじゃぐじゃになるよ
★★★★★
この作品はとにかくぶっ飛んでいます。
1冊1冊読むのに、心の中は大暴れです。
ギャグもありますが、ギャグとは違う大爆笑ができました。
人間の、漫画の、知性の可能性を感じる作品です。
心の中にあるもやもやしたものを実体化するような。
人間関係の隙間にある心の壁を砕くような。
あまりハードルを上げて読むのも良くないですが、
この作品がかなり素晴らしい物だということは間違いありません。
女の友達に貸したら、主人公が嫌いだって言ってました。
好き嫌いがあるのかもしれませんが、
この作品があること自体、「希望」に近いと感じています。
現実の現場の話ではない
★★☆☆☆
まず前半の物語についてですが、左手は添える云々のマナーはもちろん美しく食事をするためには必要なことです。
ですがカレーを汚物発言したり蛆虫がわいてるなどの発言を毎日毎日繰り返す生徒はそれ以前の問題です。
鈴木先生はその生徒の気持ちを汲んでやりましたが、それなら食事中にその男子生徒のせいで給食をまともな気持ちで食べられないという被害を受けた生徒たちのほうをもっとフォローするべきです。
後半の物語については性の問題で、まあ現実でも結論を出すのは難しい話だとは思います。
それで鈴木先生のいる中学では非童貞非処女がたくさんいるように描いてありますが・・・実際はそんなにいないと思います。
ましてや中学二年生が小学四年生と性行為に及ぶなんてのもまったくリアルじゃありません。
少なくとも私が中学生の時には、中学生は「大人」、小学生は「子供」という認識がありました。だから中学二年の男子が小学生、しかも四年生になんか手を出すことはほとんどないと思います。
小学四年生を相手に、という年齢設定はマンガとして誇張したのかもしれませんが・・・鈴木先生が解決しようとする問題はリアルな現場の問題とはだいぶ違うようです
笑激作
★★★★☆
読むのめんどくさいです。
作者の言いたいことを垂れ流しに
してるだけのような気もしないでもないですが、
なんか気になっちゃって読んじゃうんですよね。
作者の目には、普通の人々が、かくも気持ち悪く
見えているのでしょう。
「ニンゲン気持ち悪い。」
って声が聞こえてきそうな絵です。
そんな中、唯一の救いが小川さん。
理想の投影はニンゲンのエゴだと判った上で、
少女を神としてしまう鈴木先生の姿になんか共感してしまいました。
鈴木先生も気持ち悪い奴だけど、まぁいいんじゃないでしょうか。
面白い作品です。
中学校という設定では突飛すぎかな
★★★★☆
見た目は「金八先生」のようなリアリティ系の学園物語を想像してしまうのだが、現実的と言うより大変文芸的な作品だ。登場人物の思惟が駆けめぐり、推理小説のような楽しみ方を存分にできる。
中学教師を描いているものの、設定が学校で起こった瑣細な出来事を扱う割に少々突飛だったり(「@げりみそ」や「@酢豚」)、非現実的だったりするので(「@教育的指導」)、その背景に重きを置くと、中学生という段階にしては、大人びすぎた不自然さもあり、好き嫌いが分かれる気もする。自分は一般的に学校教師という人間性に対して肯定的な感情をもっていないので、「良い教師」を描いているという点に関しても猜疑心を持ってしまうのだが、真摯に教職を勤め上げる鈴木先生には、良くも悪くもすごく日本的な教師像を感じた。
明かに漫画のテンポで読み進めるのにもかかわらず、正に小説を読んでいるような深みを伝える点は、面白い。続巻も是非読みたいと思う。
学校教育の名を被った作者の独我論漫画
★★★☆☆
学校とは個性を育てるところだと思う、百の個性があれば百の個性を育むところ。
思想を統一するところではない。もちろん間違ったところは正すのが正解だと思う。
だからと言ってテーブルマナーを躾けるか?左手がおざなりになっている?
食事する相手の一挙動が気になって仕方ないってどんな神経質だよ。
その程度で食べ物を汚物に見立てた発言をして周りを嫌な気分にする方がよっぽど問題ありますぜ。
だが鈴木先生は周りに不快感を撒き散らすそんな神経質野郎の肩を持つのであった。
結局この漫画は学校教育を主題にしているようで実際は作者の価値観を代弁しているだけなんだよね。
作者が自分で正しいと思っていることを鈴木先生を通じて伝えているだけ。
4巻に至っては中学生でありながら小学生と性行為に及んでしまった教え子を叱るどころか行為を肯定する始末。
ここらへんで完全に萎えた、ただ作者の価値観をこの漫画に押し付けてるだけやん。と。
大人っていうのは歳を取れば取るほど価値観が凝り固まっていって融通が利かなくなるのだが
先生というものだけは年齢を重ねてもいつまであっても若くあって欲しいと思う。
そうでなければ価値観を共有した生徒とそうでない生徒とでは明確な距離感が生まれてしまうからだ。
小学生の娘の処女を奪われたとして謝罪を求める母親に対して鈴木先生は饒舌ぶりを発揮して黙らせる。
問題が発生している以上、ここはやっぱり謝るところなのだ。自分が間違っていないと感じていたとしても
自分の中の常識に常に疑いを持ってかからなければ先生などは務まらない。
価値観が凝り固まっている作者が描く以上はそれは学校教育の皮を被った紛い物なんだと思う。