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遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子 (とんぼの本)

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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美しく、簡単明瞭。 ★★★★★
美しい絵本で、深遠なる思想を簡単明瞭に解説。 キリスト教を探索中の方、必見の書。
弱い人間が強くなるとき ★★★★☆
ゴルゴダの丘でイエスを見捨てた弟子たち。その弟子たちがイエスの復活を実感して、キリスト教の宣教師となっていきます。キリスト教の普及には、弟子たちの存在を抜きに語ることはできません。

本著は、宣教に携わったイエスの弟子12人に焦点を当てたものです。イエスが十字架に架けられた後、弟子たちはイエスの教えを腹に落とし、自らの命を賭して布教に努めていく。その弟子たちの一人一人を追っています。弟子たちは、決して強い人間ではなかった。弱い人間が「思い」を抱いた瞬間に強くなれるものであると、示唆しています。ペテロやヨハネに関するエピソードは豊富であり知る人の多いところですが、他の弟子たちまでを追ったものは少ないので、簡潔に抽出した本著はオススメです。

さらに本著が優れている点は、宗教絵画の絶妙な挿入にあります。西洋絵画は、宗教を理解していなければ理解できないものであることを改めて教えます。弟子(使途)たちを描いた絵画も多くあります。それらが印象的にレイアウトされ、絵画への興味も惹くような構成になっています。個人的に、カラバッジョの光と影の表現が好きなので、エピソードとともに掲載されている絵に感じ入りました。
イエスの生涯を宗教的絵画でたどる ★★★★★
映画『ダ=ヴィンチ=コード』をきっかけにしてイエスについての考察が深まりつつある。あまた類本もそれなりの予測を展開して、個々の本を読むとその面白さに惹かれる。
 この本は、イエスとその弟子について、残された絵画を通してその人間性に迫ってみようという、今までなかった種類の本である。美術品を通して見たイエスの生涯という感じで、そのさりげない文章に「はっ」とするところも多い。私は45年間カトリックの信者をしているが、この本は、われわれ信者でも知らなかったことを気付かさせてくれる。そしてそれぞれの弟子がイエスの教えを守ってどのように殉教していったかを知るにつけ、彼らの信仰の深さと自身の信仰のなさにガックリくるのである。キリスト教入門の書として、皆に読んでほしい本であろう。

いい忘れたが、何よりこの本の主役は弟子である。ひとりひとりの弟子の性格が現れていて面白い。
異端説を宣伝する危険な著作家 ★☆☆☆☆
 遠藤周作は、「カトリック作家」ということになっています。カトリック信徒は、その公の言動において、カトリック教会の教導権の教えを否定するような言説をばらまくことはなんらゆるされていません。(教会法1369条、1371条など参照。)
 しかるに遠藤周作は例えば、

「それはこの婚姻の席でイエスが「水を酒に変えた」という象徴的な出来事の意味である。 聖書の中ではイエスの奇跡として語られているこの行為は、実はイエスと弟子達との関係を暗示しているのだ。」
(遠藤周作「イエスの生涯」新潮文庫p.39)

「イエスは群衆の求める奇跡を行えなかった。・・・子を失った母の手をじっと握っておられたが、奇跡などはできなかった。」 (同p.95)
「現実に無力なるイエス。現実に役に立たぬイエス」 (同p.191)
「現実には力の無かったイエス。奇跡など行えなかったイエス。」(同p,213)

 と、カナの婚礼における奇跡の事実性を否定し、イエスには「奇跡はできなかった」と繰り返し執拗に主張しています。すなわち、福音書における奇跡の記述はいずれも事実ではありえない、私はそのようなことを断固として否定する、と繰り返し明言しているわけです。

 いうまでもありませんが、このような解釈は過去のいかなる教会教父、教会博士によって主張されたこともありませんし、現在のカトリック教会の教えでもありません。

 第二バチカン公会議「教会憲章」58を読めば明白なとおり、ヨハネによる福音書第二章のカナの奇跡のエピソードの史実性は当然の前提とされています。

 つまり、遠藤は第二バチカン公会議の教えを攻撃しているのです。

 聖書の入門書としてはリチョッティ「キリスト伝」や、福者アンナ・カタリナ・エンメリックの著作をおすすめします。

 また、遠藤が依拠した聖書学者の見解の多くがなんら論理必然的なものでないということにかんしては、William G.Mostの著作を参照することをおすすめします。(Catholic CultureやEWTNといったサイトで公開されています。)

 また遠藤周作は「私にとって神とは」(光文社文庫)p.166、p.215でテイヤール・ド・シャルダンを絶賛していますが、ヴァチカンはこの本の初版の出版の前に二度にわたってテイヤールの著作に関する厳しい警告を出しています。

「(テイヤールの流通している諸著作が)カトリック教義に反する曖昧性や深刻な誤謬を含んでいることは十分に明白である。

それゆえ、・・・聖庁は、全ての教区司教、修道会上長、神学校校長、大学総長に、テイヤール・ド・シャルダン神父と彼の追従者の諸著作によって引き起こされている危険から、人々の精神を、とくに若い人々のそれを守るように強く勧告する。」 (WARNING REGARDING THE WRITINGS OF FATHER TEILHARD DE CHARDIN ,Sacred Congregation of the Holy Office )

 以上のようなヴァチカンからの警告にもかかわらず、またそれは現在も何ら撤回されていないにもかかわらず、遠藤周作や上智大学教授百瀬文晃師、オリエンス宗教研究所をはじめとして、日本のカトリックの中にはテイヤールの教説を支持する人々が数多く存在し、またその言説は広い影響力を及ぼしています。大変危険な状況です。

 テイヤール主義は、「進化する神」という思想を提唱している点で、神の不変性を主張するキリスト教の正統的教義と正面から矛盾するばかりでなく、神智学・ニューエイジ的疑似宗教にかぎりなく接近しています。現にニューエージャー自身が、自分たちの思想の先駆者としてテイヤールにしばしば好意的に言及しています。(ファーガソン「アクエリアン革命」実業之日本社など参照。)ニューエイジ運動は教皇ヨハネ・パウロ二世の著作「希望の扉を開く」(新潮文庫)で、「新たなグノーシス主義」として鋭く批判されました。

 テイヤール主義に関する最も徹底した批判文献としてつぎのものをおすすめしておきます。
Wolfgang Smith,Teilhardism and the New Religion (TAN Books)

キリスト教の知識として ★★★★☆
仕事の関係などで、聖書や基督教の知識が必要になる事が多々あります。聖書や基督教について書かれた本は多々ありますが、12弟子については、一部をのぞいて彼らがどんな人物であったか、又イエスキリストの死後どのような生活を送ったかはそれに関してここまでダイジェストに簡潔にまとめられた本はあまりないと思います。
この本を読むと、カトリックの教会に行ってそこにある聖人像の持ち物の意味や基督教への知識も深まるはずです。
クリスチャンはもちろん、そうでない方も、知識として読まれるといいと思います。