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権力の読みかた―状況と理論

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 青土社
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あまりにもサンドイッチ的な ★★★☆☆
ハーレント・ウェーバー・フーコーなどの権力観を概説した『序章』、イラク戦争・フランス暴動・郵政民営化などを題材にその背景にあるものを探ろうとするエッセイを集めた『状況』、最後にフーコーの『理論』で締めくくる3編構成。

権力という題材に初めて取り組んだ自分としては、『序章』編『理論』編はそれなりに興味深く読めた。しかし、そこで取り上げられた理論が『状況』編のエッセイで述べられる主張と直接的に結びついていないために、本全体としてなんとなくチグハグにしあがっている。また、それらエッセイの内容にしても、本質に迫ろうと努力するあまり、かえって本質を見失ってしまっている印象。

とはいえ、世間を捉える新たな視座を提供してくれる本であることは確かなので、☆3つ。
権力に踊らされないための権力の読み方がわかる ★★★★☆
フランスの極右に対するフランス下層階級の根強い支持等の分析から、世界規模の資本主義により生み出された先進国の内なる第三社世界の住民=見捨てられつつあることを実感している国民の不満エネルギーが排外主義への情熱へと転換されることにより現代の国家権力システムが維持される実態を暴くなど権力の本質を見事に分析。構造改革の推進が新たな利権システムの創出に過ぎないとの指摘はまさに至言。シンプルな議論の運び方で、権力の基本的な性質を説明しており、現実の世界の政治の動きとビビッドに議論を対応させているので、とても解かりやすい。しかし、国家が脱人格化された暴力を行使する「運動」に過ぎないということになると、国家により疎外されつつあるわれわれは自らを取り返すために何と闘えば良いのか?。「所詮権力ってそんなもんすよ」と著者は言いたいのか?また「いまいち」などの若者言葉が使われる一方で、現代思想固有のワードが説明無しに使用されるところもあり、想定読者が果たして「素人の私」なのか確信が持てないところが「いまいち」。
俊英による三作目 ★★★★★
いま各方面から注目を集める論客の第三作目ということで楽しみにしていた。
第一作目の国家論(『国家とはなにか』)、そして第二作目の資本主義論(『カネと暴力の系譜学』)に続いての主題(テーマ)は、本書のタイトルが示すとおり、そのものズバリ「権力」である。
萱野稔人の素晴らしいところは、凡百の思想家が「わかったつもり」で使いまわし、言葉のインフレを起こしてしまっている概念を、根本から問い直す力を持っていることだろう。
だから彼が第一作目で「国家」を論じた後、多くの思想家がその理論的一貫性に便乗する形で「国家」を語り始める現象が起きた。
今回はこれまたややこしい「権力」という概念に挑んだ力作だ。
「序章」で、ミシェル・フーコーとマックス・ウェーバーの権力論の違いを見事に(それも非常に分かりやすく)抽出し、「終章」でフーコーの権力論を深化させることで、ドゥルーズのフーコー論への疑問を提示するあたり、彼が並大抵の理論家ではない確信がより深まった。
本書の中盤の構成は「現在の」権力の趨勢を論じた文章を集めたものだが、「ナショナリズムの逆説」という論文に代表されるように、中盤も目からウロコの分析が目白押しである。この十数年間、ナショナリズムを批判していればそれだけで思想家「然」としていられる、ある意味で「多幸的な」時代であったが、萱野はそれらの「理論もどき」を、人間感情の生態学とも言える視点から退けることで、そうした人間感情と現行の権力との絡み合いを鮮やかに示すことに成功している。

前二作に続いて、今作も瞠目に値する素晴らしい成果だと言えるだろう。