歴史的人物の実像が生き生きと浮かんでくる
★★★★☆
筆者は漱石の孫であり、作家半藤一利氏の奥様。祖母夏目鏡子を始めとした漱石の親族、弟子についてのエッセイ。親族ならではの漱石及び周囲の人間についての目撃談、夏目家に受け継がれてきた人物評が歴史的人物の人間味あふれる実像を浮かび上がらせており、面白く読めた。
漱石と猫
★★★★☆
本を読む楽しみのひとつに、その人となりをよく知らない歴史上の人物についても、書中でその人の思いがけないエピソードに出くわすことによって、その人の輪郭が鮮やか浮かび上がったりする点がある。
かの夏目漱石の奥方、鏡子夫人はなかなかに性格の厳しい女性としてこれまで多くの人々が描いてきたこともあって、我々は、鏡子夫人を、こういっては何だが、まあ、「悪妻」の部類に分類してきたように思う。
さて、そんな折に、鏡子夫人のお孫さんにあたる半藤末利子さん(あの歴史探偵・半藤一利氏の夫人である)が書いた「漱石の長襦袢」(文藝春秋刊)を読んでいたら、面白いエピソードに出くわした。同書で末利子さんは、「祖母は決して、世間が言うような悪妻ではなかった」と繰り返し書き、そうではなかったエピソードを次々にご披露なさっているのだが、そのさ中に、「漱石夫人と猫」と題された短文が現われる。
末利子さんが、ここでご披露なさる「鏡子夫人像」がとても興味深いので、皆さんにもご紹介しておきたい。
<朝寝坊のために鏡子は遅い朝食を摂るのだが、火鉢の脇に座ってパンとサラダと紅茶が運ばれてくるのを待つのが常であった(夏はどうだったかは覚えていない)。すると決まってノコノコとどこからか這い出してきて鏡子の膝の上にちゃっかりと陣取って待機する奴がいる。火鉢の五徳の上に置かれた餅あみの上で裏表こんがりと狐色に焼かれたパンに鏡子がバターを塗り始めると、そやつは身を起こし前脚を伸ばしてパンを取ろうとする。と、本当はバターの香りに誘われてパンを欲しいとせがむ猫の気持も察せずに、「今やるよ」と一喝して頭をパチンとぶっ叩いてから、鏡子はおもむろにバターのついていないパンの耳をちぎってそやつに与えるのである。>(P36)
ぐははははは。こういったさりげないエピソードが、当の人物の人柄を一番表すのではないかと私は思う。果たして鏡子夫人が悪妻であったか否かはみなさんのご判断に委ねるが、ひょっとして、「我輩は猫である」というのは、漱石が、家庭での自身のありようを自嘲的に表現したものかもしれない、と思うのはうがち過ぎであろうか?
漱石ファンは必読のエッセイ集
★★★★☆
「これじゃ漱石におかま趣味があったと思われるじゃないか、朝日に電話したほうがいいぞ」
という著者の夫君半藤一利氏の衝撃的?なセリフで始まる表題作はじめ、
漱石の孫である著者でなければ書けない新事実が次々に登場するエッセイ集。
「まぼろしの漱石文学館」では寺田寅彦、小宮豊隆など漱石の高弟と呼ばれる人たちの
優柔不断ぶりが実に辛辣に描かれ(どうして漱石の文学館がないの?というファンの疑問に
こたえる内容です)、鏡子夫人の豪快かつ伝法ともいえる人柄をよく伝える逸話
(漱石の没後、印税で豪邸を新築)、鏡子夫人の妹二人がどちらも当時の大金持ちに
嫁いでいた(『それから』『明暗』に登場する上流社会の描写はここから?)など
今まであまり知られなかったエピソードが目白押しです。
テレビドラマ『夏目家の食卓』に登場する漱石や鏡子夫人の
ふるまいに心底当惑したり(やっぱりテレビをうのみに
しちゃいけませんね)、漱石に関する大新聞の記事に異議を唱えたり、と
漱石の孫として正しい漱石の姿を後世に伝えたい、という著者の思いが
淡々とした文章からにじみ出ています。
特に印象的なのは、「漱石山脈」とも呼ばれた弟子たちの筆頭格、
寺田寅彦や小宮豊隆に対する著者の厳しい視線です。
晩年の漱石は古い弟子たちに失望し、若い弟子の芥川龍之介を
高く評価していたことを、以前別の著者の本で読みましたが、
その記述を裏づける本作には、歯に衣着せぬ率直さに少々とまどいつつも、
おおいに納得させられました。