『ねじの回転』などで知られる、19世紀と20世紀をまたいで活躍した大作家、ヘンリー・ジェイムズ円熟期の傑作長編。筋立て自体は実に正統的な、よくあるメロドラマといっていい。しかし本作の最大の特徴は、過激なまでに仔細なその心理描写の、群を抜いた力量にある。あたかも顕微鏡を通してドラマを見ているかのような、人物たちの微細な心の動きをどこまでもすくい取る筆、それによって本作は唯一無二のものとなっている。
主人公ケイトは、伯母からさる名門出の紳士との縁談を持ちかけられる。彼女は新聞記者の恋人デンシャーを愛しているが、薄給の記者との結婚を案じてもいる。もう1人のヒロインが、裕福だが天涯孤独な、そのうえ病身の娘ミリー。彼女はひそかにデンシャーに想いを寄せ、やがて彼を慕ってアメリカからロンドンにやってくる。すると、この小説の醍醐味、複雑な思惑の交錯がいよいよ本格的に始まる。
ミリーとケイトがもつお互いへの印象、医者の平和に振る舞う態度と言葉の裏に、死の宣告を聞いた気がしたミリーの動揺、恋人たちの複雑な心情。それらを構成する意識ひとつひとつを、ジェイムズは逐一明るみに出していく。なかでも、ミリーが逢瀬を楽しむケイトとデンシャーとロンドン・ナショナル・ギャラリーで偶然かちあってしまうシーンは圧巻。単なる嫉妬では片づけられない、相反した想念も含めた雑多な混合物としての心理が描きだされる。上巻では全10部のうち、第1部から第6部までを収録。(岡田工猿)
上巻のみの感想〜余りにも濃密かつ精緻な心理描写に感服 !
★★★★★
作者の代表作とされる作品。上巻は第六部まで。一方のヒロインの美貌の英国女性ケイトは、自堕落で家を零落させた父、貧窮生活に喘ぐ姉の二人から金持ちと結婚する事を強要されている。利発なケイトに魅かれる記者で理想家肌の青年デンシャーにも経済的余裕は無く、ケイトも同居する叔母モードに生殺与奪権を握られていた。モードもケイトを社交界で高く売ろうとしていたのである。ここまでは古典的な金銭・名声欲と精神の高邁さとの対立図式。そして、デンシャーに米国特派の話が持ち上がる。
他方、莫大な遺産相続者で天涯孤独の魅惑的米国女性ミリーとその庇護者ストリンガム夫人が紹介される。ミリーが本作における「鳩」であり、病弱で魂の渇望感を抱いている。二人がヨーロッパに旅行する前にN.Y.でデンシャーと出遭ったミリーはロンドン行きを希望する。ストリンガム夫人もその名(接着剤の意)に恥じず、モードの学友と言う設定。二人はモードの晩餐会に出席するが、そこでミリーは魂の大きな揺れを感じる。
無垢なミリーに対し、ケイトの怜悧な性格が次第に浮かび上がって行ったり、デンシャーを巡る高度なさや当ての模様等、精緻で濃密な女性心理の描写は流石と言える。それも、ケイトの思惑を牽制するモードの胸中をミリーが忖度すると言った錯綜した心理の綾が子細に映し出される。そして、ケイトが紹介した医師ルーク卿とミリーは互いに親愛の情を持つ。ミリーは信頼感から、ルーク卿は憐憫から。「生きる」事を勧められ、ルーク卿の許を辞すミリーの心情の描写は上巻で最も躍動感に溢れ、読む者を勇気付けるのではないか。そして、その直後に美術館でケイトとデンシャーが逢っているのをミリーが目撃するシーンを持って来る巧みさ。本シーンの心理描写は圧巻で上巻のハイライトと言って良い。下巻において、「鳩」は羽ばたくのであろうか、翼が折れてしまうのであろうか...。
翻訳がいまひとつ、いやいまふたつなのが難点
★★☆☆☆
ヘンリー・ジェイムズほど小説の企みの上手い作家も英語圏では珍しいのだから、本書は文庫版で読めるという意味で僥倖のはずなのだが、いかんせん翻訳がいまひとつ、いやいまふたつ。日本語が下手なのだ。せっかくの原文のすごさが、これでは読者に伝わらない。もっと上手い訳者はいくらでもいるだろうのに、なんでこんな訳本を文庫化したのか?
講談社の編集者はダメなのだろうか?
人生って辛いわ
★★★★★
かなり辛い内容の本です。
体力・気力が充実している時向けかもしれません。
でも、読む価値はあります。
もし自分が彼女・彼の立場ならどうするだろう?
と随分考えさせられました。