“赦しの神”と寛容の精神の宗教
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本書『コーラン 中巻』は『コーラン』発展史の中で中期のメッカ・メディナ時代に編まれたと言います(302頁)。メディナの邑でのユダヤ教との接触により、『コーラン』は説話的・物語的要素を帯びるようになりました(304頁)。事実、ノアの洪水やモーセの話が一度にとどまらず、何回も語られます。
そしてアッラーが“赦しの神”であることも何回も語られます。人間は不完全であるがゆえに、間違いを犯します。しかし、人間がその過ちを反省し、アッラーを帰依するのであれば、アッラーはその過ちの罪を取り除くと語っています。
ところで「イスラム教=テロリスト」は証拠のないでっち上げです。「されば汝(マホメット)はゆったりかまえて立派な寛容の態度をとるがよい」とやたらに復讐を急ぐのを戒めています(71頁)。それから「またもしお前たち、(相手を)懲しめようというのなら、懲しめてやるのもよし、だが向こうにやられた程度のことにしておくのだぞ」と度を越す復讐を制し、さらに「だが、もし我慢できるものなら、我慢するにしくはない」と諭しています(92頁)。イスラム教はジハード(聖戦)にのみ専念する宗教ではなく、異なる他者に対して寛容の精神も備えていることが読み取れます。
ジェンダーに関して言えば、マホメットの奴隷だった者の妻にマホメットが恋心を抱く話があります(293頁)。マホメットの恋を正当化する中で見えてくるのは結婚および離婚に際して女性は主体的でないということです。最後に、現在の日本でも問題になっていることかもしれませんが、アッラーは女性に「やたらにごてごてお化粧しないよう」にと述べています(292頁)。
本書でイスラム教の世界・価値観をのぞき見ることができるとともに、その状況の雰囲気を醸し出す井筒氏の名訳に浸ることができます。
イスラーム学のパイオニア井筒俊彦訳の『コーラン』-中巻
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素晴らしい信仰心
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分かり易い口語で書かれている為どんどん読み進むことができた。黙読だけでは物足りず、感情を込めて音読すると尚一層気持ちが高ぶった。今まで無神論者を自称し其れを誇りにさえ思っていた自分が神の言葉に感激して涙を流していた。今の世の中いろんな価値観が林立していてどれが善でどれが悪か容易には決めにくくなっていて、結局独断と偏見で自分が気に入った特定の価値観を採用し其れに従って善悪の判断をするしかなかった。だから物事善悪二元論じゃないよ、という意見には反論できず、目前で自分が悪と判断することが起こっていても価値観の違いだと諦めるしかなかった。しかし、今ここに神様が人間に善悪の基準を設けていてくれた事を発見し、有難いと思わずにはいられない。