非常に面白い
★★★★★
ひとつの殺人事件を裁判を通して最初から最後まで書き表された作品です。
一つ一つの物事がかなり細かく語られ、少しうっとうしく感じるときもあったが、
最終的にはそれだからこそこの作品がすばらしく仕上がってるのだと感じた。
被告人弁護士が巧みな証人尋問で次々に新証言を得るところも小気味よく面白い。
自分が抱いていた先入観がどんどんひっくり返されていくのも快感。
小説を読んでいるのに、現実に証人たちの表情を見ているような鮮やかな表現力に、
ときどきハッと息を呑むような場面もあった。
それでもどれだけ証拠を積み上げても真実というのは・・・と
複雑な心境になり読後も考えさせられる作品だった。
真実とは
★★★★★
週間文春1977年 総合9位
第31回日本推理作家協会賞 長編賞
昨今の裁判員制度の興味から本作品を読んでみた。昭和36年の事情なので、現在とは違うのだと思うが、人が人を裁く難しさを痛感した。テレビの法廷ドラマとは違う、淡々としたリアルさが胸にせまる。”真実”とはなんだろう。
大傑作である。
日本のミステリー史に残る傑作
★★★★★
時は昭和36年、神奈川県の田舎町で19歳の真面目な青年が、付き合っていた女性の姉を刺殺してしまう。
逮捕された青年は犯行を認め、事件は一見単純なものに見えたが、裁判の過程でいくつもの新事実が明らかとなり、事件は複雑化し謎を深めていく。
証人達から巧みに新事実を引き出し被告人を有利に導いていくベテラン弁護士の鮮やかな手腕は圧巻であるが、
一方で事件の真実に到達する事の難しさと限界を痛感させられる。
そして人が人を裁く難しさについて色々と考えさせられる。
「真実は結局はわからない、というのは判断の停止を意味するから、裁判官は言ってはならない。しかし真実に対して謙遜な気持を失ってはならない。」という裁判長の言葉に、示唆を含んだ思慮深さを強く感じた。
ちなみに本書は日本推理作家協会賞を受賞しており、日本のミステリー史に残る傑作。
『フィクションとしての裁判』~「事件」とは何か
★★★★★
神奈川県の田舎町で起きた19歳の少年による恋人の姉殺害事件での、事件発生から少年の殺意の有無をめぐる裁判とその判決に至るまでの過程を、フィクションとは思えないような抑制の効いた、圧倒的なリアリズムで描いています。
つまりは殺人か傷害致死かを争うだけの話なので、裁判小説と言ってもそのプロセスでの“意外性”は限定的で、ペリー・メイスンのようなミステリーとはまったく趣を異にします。しかし、一般にはあまり知られていない裁判の進行模様が、個性的な登場人物のおかげもあり面白く読めます。そして最終章でこれほどウ~ンと唸らされる小説というのも少ないのです。そのウ~ンは、ミステリーとしてのウ~ンとは別物です。「事件」とは何かを考えさせられるのです。
一般に殺意を裏付けるものは“動機”と“状況”なのですが、大岡昇平とこの小説を執筆した際のアドバイザーの1人だった当事俊英の弁護士・大野正男氏(後に最高裁判事)との対談『フィクションとしての裁判』を読み、大岡が執筆の途中で主人公と被害者の関係に重要な修正を加えたことを知り、それがラストのウ~ンにも繋がるのかなと思いました。最初からミエミエなら、ここまで唸らない。タイトルが『事件』のテーマを暗示しているとも言えるこの対談集は、残念ながら絶版中ですが、司法制度改革に関連する話題もとり上げているので、文庫化してもらえればと思います。
刑事裁判の本質と限界に迫る傑作
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それは、どこにでもある平凡な殺人事件のはずだった。証人、自白・・・、検察官の立証は万全のはずだった。しかし、公判が進むにつれて、検察官の描いたストーリーは崩れ、事件の意外な真相が明らかになってきた・・・。
刑事裁判がどこまで事件の真相に迫ることができ、どこに限界があるかを、リアルな法廷シーンを通じて問う、日本の裁判小説の中でも最高の部類に属する傑作。裁判員制度が導入されようとしている今、刑事裁判というものについて考える上でも非常に参考になる1冊。