豊饒な言語空間
★★★★★
私は川端康成のよき読者ではありません。従って、読んだ本といえば学生時代の著名な数点に過ぎず、それも饅頭食いながらただぼんやりと感じたものです。
ところが最近京都に行くことがあり「古都」でもと手にとってその鮮烈な言語空間が現出するのに驚嘆しました。
以下はほんの一例です。
「茶室の下の小みちを抜けると、池がある。岸近くに、しょうぶの葉が、若いみどり色で、立ちきそっている。睡蓮の葉も水のおもてに浮き出ていた。この池のまわりは、桜がない。」
文章は際めて平易です。しかし一句一句の意味は驚くべきスピードで展開し、そして最後に歌舞伎でいう幕の振り落としのような情景が言語の中で顕われます。
具体的に追うと以下のとおりです。
まず、「池が」在ります。存在がそのままストレートに提示されます。次いで「しょうぶの葉が、立ちきそ」います。存在そのものから、その態様に変化するわけです。そして「出ていた」となり、すっと後に引くことによって存在からの空間的かつ時間的距離感が現出します。圧巻は「桜がない。」です。勿論存在としては、「桜はない」のでしょう。しかし、「桜はない。」と言語が提供されることによって、桜そのものの残影が一旦顕われ、その非在がフラッシュバックのように存在化します。そして消え去るのですがその瞬時は永遠です。
出来事はあっというまなのです。しかし、何度読んでもその言語空間はくらくらするほど豊饒です。
文章作法の修練がよほど徹底してなされたのでしょう。よく研ぎ澄まされた彫刻刀によって彫られた一個の芸術作品が艶やかに実在すると感じることができました。
京の春夏秋冬
★★★★☆
久しぶりの川端康成でしたが、目からうろこが。「膝を払って」立ち上がる、なんて、最近ではとんと見なくなった日本語です。
伝統的な京都の文化・四季の美がクローズアップされがちですが、それらと双子の姉妹の再会とをまじえることで、「壷中の天地」のような物語に仕上げているという、意外と斬新な手法で書かれた小説でもあります。
冒頭のすみれの例えは、若干、あからさまな気もしますし、話のリズムが崩れているように感じる時もありますが、やはり小説全体を覆う雅さには心惹かれます。特に苗子と秀男が出会う場面は、くらっとくるくらい魅力的でした。さすが美女好きの川端さん。
あと春・夏・秋と和服中心だった話のなかで、冬になると千恵子が暖かい洋服に着替える場面があるのですが、それがなんとなく時代とともに失われていく京都の美への哀惜に思われるのは、深読みしすぎでしょうか。1年間くらい京都に住んで、今の古都の様子をじっくりと眺めてみたい気持ちにさせられました。
淡く白い風景の物語
★★★★☆
双子で生まれ同じ家庭で個性を磨きながらそれぞれの人生を歩むのが本来とするならば、この姉妹は全く違う人生を生まれた時から辿らなければならなかった。その事実を知った時、二人の運命を分けた見えざるものに対して畏怖し、渦が中心へと二人を近づける自然の力に身を任す。しかし、姉妹は一体にはなれぬことを知り、また離れていく運命に人生の切なさ、哀しさを胸に抱き、それぞれの人生へ旅立つ。一瞬ではあるが凝縮された時間の密度の中で絆を強固に築き上げた。雪の中へ消え去る苗子、それを見送る千重子、まるで幻影かであったような静かな白い風景が深い余韻を私の中に残す。人生は何を持って幸せと定めるのか・・
日本的美の極致
★★★★★
本作品は、京都の春夏秋冬と移ろいゆく季節を背景に、捨子でありながら佐田太吉郎としげに拾われ、呉服問屋の一人娘として育てられた千重子と、姉か妹かは不明だが、千重子の双子であり、北山杉の村で働く苗子が祇園祭の夜に再会し、互いに惹かれゆくさまを描いた、極めて日本的な情緒に満ち溢れた美しい作品である。
双子であるのに、別々の道を歩み生きつづけてゆく二人。千重子に、一緒に家に住むことを提案されても、ただ一度泊まりに行くだけで、あとは拒絶する苗子。あまりに風情を帯びた背景の描写の中に、二人の運命というものが自然に書き連ねられる。千重子に心がありつつも、その幻影として苗子に結婚を申し込む秀男の心理もまた趣深い。雷の場面で千重子の上に重なり合う苗子、さらに再開の場面で今度は逆に苗子に重なり合う千重子、といった描写も冒頭のすみれの描写と照応して感得し得る。
とは言いつつ、この作品には、千重子や苗子を通して、物語における教訓めいたものが主題として描かれている訳ではなく、ただ背景の京都の年中行事と自然の描写がかくも美しく、そこに生きる人々の人間模様が写実されているのである。つまり、本作においては、人の背景に自然があるのではなく、自然の中に人が生きている、という描写が為されているのだと私は思う。川端の書く日本語の行間を活かした奥ゆかしさに、純粋に読者は酔わされる。作品を通して思想的に何かを訴えかけられるわけでもなく、ただ純粋に日本的な四季の美、そして人情の美というものを、本作を通じて読者は得られる。
兎にも角にも、日本の美を最も忠実に表せるのは川端康成だと私は思う。川端は、睡眠薬を服用していた為に、本作を書いていた記憶がないということが驚きだが、いずれにせよ、この上なく品高い、本来的な日本の美を再認識出来るこの美しい一作は、現代の欧米化が促進された似非日本に住まう日本人にこそ、多く読まれるべきであると思う。
自分にとっての美しさを創造しよう
★★★★★
今となっては残っているのかどうかわからないが、かつてはこのような美しい「日本」が実在したのかもしれない。
今は町に原色の看板があふれ、町並みを考えないグロテスクな建築が増え、人々の心もグローバライゼーションの競争の渦の中で消耗し、自分さえ良ければという狭量な考え方をする人たちが徐々に増えてきているように思う。
でも、やはり、物事の美しさは心の中にいつくしみ育てることが出来るのだと信じたい。
「古都」のような文学にたしなむのもその手段の一つだろう。
でも、もしかしたら川端康成がこの小説を書いたときは既に美しい日本が崩れていて、その悲しさからこうした作品を生み出そうとしたのかもしれない。
となると、ますます今の状況に嘆くばかりではなく、自分自身で美しさというものを生み出していくだけの貢献を何かの形で実践したいという気にもなるのである。