「しろうと」と「くろうと」のはざま
★★★★★
明治の文豪・幸田露伴を父に持った幸田文。その娘もそのまた娘も文筆で生きているのですから、もしかしたら筆力というのは遺伝するのかもしれないと信じそうになりますが、それもそうかもしれないとうなづかせてくれるすばらしい一冊。筆の力を体感できます。「おとうと」もよかったがこちらはさらにいい。
「くろうと」の芸者置屋に住み込みで働きだす40歳を過ぎた女中を主人公に、そこで起こる数々の出来事が描かれる。この主人公の女中がやたらとデキル人で、「しろうと」の癖になんでもできてしまう。「くろうと」の世界の暗黙の呼吸を飲み込みつつ、それでも「しろうと」の意地のようなものを守り続ける。どちらの領域にも染まらずに、はざまで目を輝かせて世の移り変わりを詳細まで見きわめる、利発な昆虫のような視線。女中とはいえかつては女中を使用する奥さまだったこともあるのですから、雇用―被雇用のはざまに身を置いていることにもなっています。
呼吸するかのごとき名文の数々を味わいましょう。
ちなみに成瀬巳喜男監督による映画「流れる」は主人公の女中(田中絹代)が単に礼儀正しい女性になっていて小説のような有能さとそこからくる屈託がありませんが、その分、周囲の人々(山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子)の様子は直接的に描かれていてすばらしいです。
読み出したらやめられない
★★★★★
儚くあまりにも美しい「おとうと」とはかなり趣を異にする作品。だが機知と文章のうまさに
ぐいぐいと引き込まれてしまう。読み出したらやめられない。これほどの実力を持った作家
はなかなかいないのではなかろうか。ただ読み進めるとその機知が小賢しさに変わってやや
鼻持ちならないという感じも漂う。いやみになるぎりぎりで小説が終わっているのはなんとも
目出度い。
我々の知らない芸妓の世界、日本の古いひとつの風景が見事に描かれている。
随筆の観察眼
★★★★★
柳橋の「くろうと」の世界へ入ってゆく「しろうと」の梨花。
そこには女中として違う世界に入ってゆくと言う卑屈さはありません。むしろ、離婚を経験した中年女として、「しろうと」がどこまで「くろうと」に立ち向かえるか、挑みかかっているかのようです。
その結果は、勝利です。
柳橋の落ちぶれ行く置き屋に単身踏み込んだ梨花の意気込みは、幸田文自身の意気込みであったかも知れません。
この作品が初めての長編小説になった彼女にあって、それまでの研ぎ澄まされた観察眼で書いてきた随筆の腕が、小説の世界でどこまで通用するのか?
それはまるで「くろうと」の世界に勝利した梨花の姿にオーバーラップします。
この作品は、随筆の観察眼があったからこそ生まれた作品でしょう。
内面から出る知性
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幸田文が自らの体験に基づいて記した作品。文の父親は文豪、幸田露伴。露伴は文に対して家事全般を叩き込んだのは有名な話です。そんな文が作り出した物語。主人公の梨花(文のこと)からは、日本女性の内面の美しさがあふれだしており、その美しさが文章までを輝かせています。綺麗な日本語というより、「東京語」なのでしょう。標準語ではない、東京語。物語の中に、梨花が書く文字だけでうならせる場面があります。こんなところが素晴らしいのです。露伴の教育は家事という表の部分でなく、家事を通して日本女性の心や所作というものを伝えたのでしょう。そしてそれを会得した文の紡ぎ出す物語で僕たちも日本女性を知るのです。女性を自覚している皆に読んで欲しい名著です。
染香の意地
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衛星放送で成瀬監督の映画「流れる」を観て以来、原作を読もうと思っていた。映像の印象が、小説を読みやすくした。映画は小説の雰囲気をよく伝えていると思った。杉村春子が年増芸者(染香)をたくみに演じていたが、小説の中のキャラクターそのものである。作者の文章は女性らしいしなやかさがあるが、その精神は何か、凛とした信念というものを感じさせる。当時の女性と労働と報酬について、作者なりの考え(不平等を意識しつつ、その状況を生き抜く)が垣間見えた。