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木 (新潮文庫)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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最低1年をめぐって経験しなければ ★★★★★
幸田文の文章は、細やかで、力強く、
そして、しっかりした後ろ盾を持っているように感じる。
物事の上っ面だけを見て筆を走らせるのではなく、
自分の中に取り込んで咀嚼したうえで、
責任ある文章で表現しているように思う。

その感覚は、
19歳のときに初めて読んだ幸田作品『父・こんなこと』以来
ずっと続いており、
この『木』で書かれた
「料理も衣服も住居も、最低1年をめぐって経験しないことには、話にならないのだ」
という文章で、
これだ、と膝を打つ思いがした。

まさに、木に対する幸田文の思いは強烈で、
たとえば「檜」では、
「材になる前の、生きている姿になぜ関心をもってくれないのか。まぜ、生きている美しさに、なぜ生きている息吹に、心をとめてやろうとしないのか。そういうこまやかな我々の感受性は、もう消滅してしまったのだろうかと悲しむ」
という言葉に心がざわつく。

兄弟のように並んで育つ2本の檜。
1本は素直にまっすぐに育ち、すぐそばの1本は難を受けて傾いでいる。
材木としても劣等に甘んじなかえればならない傾いだ木への描写には、
せつなくなった。

その劣級の烙印を押された木は、
材として刃を入れられても素直な材木にはならず、
暴れ、自ら裂ける様子には言葉を失う。

この「檜」のほか、
「えぞ松の更新」「藤」「木のあやしさ」「ポプラ」など
秀作の15編。
どれもじっくりと味わいたい小編である。



芽吹きの時期。 ★★★★★
仕事をやめてぶらぶらしていた時にこの本に出会いました。


年を経た桜の盛りの姿を記憶する者。

使われない材とその理由。


木々の芽吹きの力を好む姿は静かな息を感じ、平坦で淀みの
ない文は魅力的です。

木と人の見方を変えてくれた1冊です。
ずっとそばにおいておきたい本 ★★★★★
町中で暮らしていると、時折、木をむごたらしく
伐採しているところを見かける。
無残に刻まれた木々がどこへ運ばれてゆくのか
追ったことはない。

桧、ポプラ、藤、杉....。

描かれた木々の姿は、胸のつまるもの、ほっとするもの
色々。

限られた時間の中で、生を慈しむように木々を見つめ、
見届け、言葉に記して残してくれたことが、しみじみと
ありがたく、なんだか、そうっと、手を合わせたくなってしまう。

木は、人間と、とてもよく似ている。
ほんとうに、そう思う。
人も木も‥‥ ★★★★★
著者の人生経験を振返り、人を思う謙虚さ滲み出る丁寧な文章に惹かれました。
木もまた生きてきた経験があり、配慮をもって、軽んじることなく描写しています。
様々な木について、じっくりと味わういい機会になりました。
木は二度の命をもつ ★★★★★
 本書に載せられている15編のエッセイは、著者の出会った木に対する想いの深さがそれぞれに感じられ、いずれも味わい深い名文である。個人の好みとなろうが、「木は二度の命をもつ」というテーマにしぼって、その該当する文章を特に紹介したい。
「材のいのち」と題する文章に注目したい。これは斑鳩の古塔再建の際に、棟梁〈宮大工〉の西岡さんから教えてくれた「木は生きている」ということだった。立木としての生命を終えた後の「材」も生きているのである。いわば、木は立木のうちの命と、材になってからの命と、二度の命をもつものだと言う。法隆寺、その1200年も前の古材を手に触れ、腕にかかえた経験のある人の信念で言っていることである。 鉋を当てると、いきいきとしたきめと光沢のある肌を現す。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。これは生きている証しではないのか。
「たての木 よこの木」と題する文章でも、同様のことが述べられている。材を簡単に死物扱いにするのは、承知〈認識〉が浅いと言うのである。仮に、立木を第一の命とするならば、材は第二の命を生きているのである。
 西岡さんというのは、父楢光、長男常一、二男楢二郎の三人で、共に堂塔古建築で知られる棟梁たちである。この親子三人は丁寧で親切、誠実にものを教えてくれるのだそうだ。三者三様の個性を示しているが、「木は生きている」ということを教えてくれたことに著者は格別の感銘を受け、これらの文章を書くモチーフにしたようである。その道に通じている人の言葉には、千金の重みがある(雅)