絶望と希望とを行き来する人類についての未来予測
★★★★☆
コメディアンとして成功し巨万の富を得たダニエルは、自分といくたの女性との
人生を振り返るときにきていた。一方「もう一人のダニエル」は、どこか果てし
なく遠い向こうの世界で、モニターの向こうの「マリー23」と無味乾燥としたや
りとりを繰り広げていた・・・。
フランスの作家ミシェル・ウエルベックのSF長編「あの島の可能性」は、人類
の未来を予測する様相を呈している。かつてのダニエルを俯瞰した目線からな
がめるもう一人の「ダニエル」は、はるか未来において、かつての人類が知的
生命体であるがゆえに苛まれていた苦痛のいっさいから隔離された閉鎖空間
を生きている。
一方、現代を生きるダニエルは苦痛にまみれている。有機体の人類にとってもっ
とも避けて通りたい苦痛とは何か。おそらくウエルベックはそれを二つに大別し
ているのだが、その二点だけは、全人類が産声を上げたときから自由ではない。
どんなに遠い先でも秒針はいつかそのときを指し示すのと同じように、その二つ
の生理にいつか人間は捕らえられ、苦悩するさだめだ。
コメディアンながらどこか冷めた人間の「僕」ダニエルも、二人の女性との情熱
的な出会いをとおしこの二つの問題の耐え難い苦悩に苛まれる。だが苦悩だ
けではない。絶望が深ければ深いほど、反動としての希望もまた高く飛び立つ
のだ。つらいけれどすばらしい。人間はその「論理的難題」を、葛藤の途上を生
きる運命しか選ぶほかないのだ。
読者がかつてのダニエルの顛末を知り得たとき、未来のダニエルはどう動くか。
詳しくはぜひ本書を読んでもらいたいが、著者は自身の未来予測への価値判断
を、最後の最後まで保留している。多くのSFの名作は荒唐無稽を書いてきたわ
けではない。「無痛文明」が選べるとしたら僕らはそれを選ぶのだろうか。選ん
でよいのだろうか。選ぶ権利があるのだろうか。その問いは、そう遠くない未来
で突きつけられるかもしれない。
人間の可能性とは
★★★★★
フランスの現代作家、ミシェル・ウェルベックの長編小説。寡作な作家で、まだ4作目。
初めて読んだのは、去年、文庫化された『素粒子』で、そのほかに、『プラットフォーム』、『闘争領域の拡大』も立て続けに読んだ。
この『ある島の可能性』も『素粒子』と同様、近未来SFといった感じの小説で、ネオ・ヒューマンと呼ばれる、人間の将来の姿を描いている。
彼の小説はどれも、現代ヨーロッパの現実の分析を踏まえ、文明の衰退、科学、宗教と特に性をテーマにするものが多い。
この小説の主人公は、政治的風刺を得意とする中年のコメディアン。性の衰えを自覚している。その彼が、新興宗教と出会い、関わっていく。
とても不思議な小説だ、ヨーロッパの文明の衰退と男性の衰えを書きながら、科学(遺伝子工学とか)の進歩の可能性、そして人間の可能性を描いている。この可能性は決して明るいものではない。
しかし、さりとて人間に絶望しているわけではない。今までの倫理を乗り越えた、しかもそれは宗教によってではなく、科学によって(決して科学万能主義ではないが)、別の次元に人間が達するというある種の予言だ。
嫌悪感すらも、抗い難い魅力としてしまう書き手
★★★★★
相変わらず、思いやりの欠片もないような語り口だ。しかし、それにどうしても反論し得ないほど、まったく隙を見せない高い知性を感じさせる文体…正直、このひとは怖い。怖いが、やはり読んでしまう。読まされてしまう。何故なら、面白いからだ。自分というものの前世の記録がそのまま残されているとしたら、そしてそれが現在の価値観からは考えられないほどに瑣末な事象に捉われた書物だとしたら、我々はそれをどのような感情を以って読み進んでいくのだろう? ダニエルもまた、やはり過去のダニエルを理解することは出来ない。理解することは出来ないながらも、そんな過去のダニエルに、何処かで惹かれている。それこそが、『死』を失ったネオ・ヒューマンが渇望する『生』だったのかも知れない。
ハイパーニヒリストの独白
★★★☆☆
これはほとんど私小説だ。
現代のドストエフスキーなどでは、ない。
詩人にこんなものを書かせるフランス社会に興味が湧いた。
フランスのカルト的人気も頷ける。人生観の変わる1冊。
★★★★★
衝撃的な作品だ。世間的な価値観にとらわれず、クールで個人主義を貫く、ダニエルの愛の物語。現在のダニエルとクローン複製された未来のダニエルが、人生とは何か?愛とは何か?老いとは何か?文明とは何か?を交互に語り継いでいく。ジャンルとしては、SFの範疇に入るのかも知れないが、セックスもせず、交わりもせず、ある意味で仏教でいう悟りの境地に達した未来人(ネオ・ヒューマン)が人間存在とは何かについて考察するという設定が、僕たちが、普段、見過ごしてしまっている人間の本質について問いかけてくる。425頁のボリュームの随所に哲学的な思索が散りばめられ、いたるところに日本語としては馴染みのない卑猥な文章描写があるので、一部の読者にはかなり読むのに抵抗があるかもしれない。
だけど、ダニエルの愛に対する苦悩には圧倒される。売れっ子コメディアンの彼は、美しく知性に富む女性雑誌の編集長イザベルと恋に落ちる。イザベルは性的快感に身をまかせることができない。年齢を重ねるにつれ、自分の肉体美を維持できないことが彼女の心をしだいに蝕み、いつしか二人の間には性的な関係はなくなる。愛は性的な関係なしに存在し続けるものなのだろうか?ダニエルは感じる。『性行為がなくなると、相手の体が、なんとなく敵対しているものに思えてくる。それがたてる物音、その動き、その匂いが気になるようになる。そして、もはや触れることもできず、交渉を通して聖化することもできない相手の体は、少しずつわずらわしいものになっていく。・・・エロチシズムの消失にはもれなく愛情の消失がついてくる。鈍化された関係なんて存在しない。高度な魂の結びつきなんて存在しない。・・・肉体的な愛が消えたときに、すべてが消える』
『結局のところ、人はひとりで生まれ、ひとりで生き、ひとりで死ぬ』
愛とは何だろう?