この1966年のライヴ盤は、「クラブでのライヴ」だとジャケットでは豪語している。だがもちろん、オリジナル盤のライナーノートと同じく、これは真っ赤な嘘だ。あのシカゴのクラブではなく、ロサンジェルスのキャピトル・スタジオで録音されたのだ(これはクラブのオーナーを気づかっての配慮だ)。歓声を上げる観客たちはみな招待客であり、ただ酒をもらって興奮を高めていた。だが、そうでなくても観客の熱狂は文句なく保証されている。なんと言っても、アルトサックス奏者キャノンボール・アダレイと彼のバンドが、ポスト・バップの軽いこてならしとソウル・ジャズのグルーヴとを魅力的に溶け合わせたサウンドを聴かせてくれるのだから。
ジョー・ザヴィヌル作曲の有名なタイトル曲は、ゴスペル色の濃い思わず引きこまれるファンク・ナンバーで、クロスオーバー・チャートでトップ10入りした。そればかりか、この抑制の効いた驚愕のナンバーでザヴィヌルは、エレクトロ・ピアノを弾きこみたいという衝動に抵抗し、むしろ深くメロウなムードを醸しだすことを選んでいる。その他のナンバーも、キャノンボール、コルネットのブラザー・ナット、ザヴィヌルの生みだす熱気で料理されている。(Marc Greilsamer, Amazon.com)
いいじゃないですか
★★★★★
「kind of blue もいいけど、本来ジャズってのはこういうものなんじゃないですかね、あまり難しいこと考えず肩の力を抜いて素直に楽しもうよ」と、彼は言いたかったんじゃないでしょうか、快演だと思います。愛聴版のひとつ。
不朽の名声よりもそのひと時を楽しんだキャノンボール・アドレイ、いい奴だったんだろうなあ。
ファンクの御用商人、ソウルのメッセンジャーズ
★★★☆☆
キャノンボール・アダレイがチャーリー・パーカーの再来と呼ばれ、類稀なリズム感覚とオーバーファンクと形容されたすさまじいアドリブで50年代後半のジャズにセンセイションを巻き起こしたことは、誰もが認めるところであろう。しかもマイルスのバンドに在籍し、コルトレーンとともにモードの探求に一役買ったことも彼の評価を一段と高めた一因でもあった。しかし、60年代に入ってからのキャノンボールは持ち前の才能を、ファンク、ソウルといった大衆路線に援用し大成功を収めた。そのことをとやかく言うつもりは無いが、リー・モーガンにせよ、キャノンボールにせよ、その才能を時代の趨勢のなかで消費した感をぬぐえないのは、自身の音楽をもっと広い視野で捉えられなかったのかという無念さに通底するものがある。もちろんミュージシャンとて、食えなければいけないのであり、背に腹は換えられないのは先刻承知でもある。それでも、Mercy, Mercy, Mercy!が軽快でのりのいい曲であるぶん、悲しさが倍加するのである。
キャノンボール、珠玉の一枚
★★★★☆
キャノンボールの傑作の一枚。表題曲はリズム感もよく、覚えやすい美しいメロディーだ。キャノンボールの兄のナット・アダレイ(コルネット)もいい味を出している。キャノンボールの珠玉のライヴ盤(松本敏之)