母は不思議な力を持つ
★★★★★
敬愛する明治の文豪「夏目漱石」。
母から愛されなかったという悲しい思い込みを背負い、曲がった心の癖を作品の中で表現し続けた。
「素直でないから愛されなかった」のではなく「愛されなかったから素直になれなかった」
と著者は断言している。
愛されるべき人から愛情を受けることができなかったとき、人は深い疑問を抱く。
そして自分についての探求の旅が始まる。
漱石の作品はすべて自身に向けて「なぜ私は愛すべき母から愛されなかったのか?」と問い続けているのだ。
そして疑念を抱きつつも「愛されていることに気づいていない」自分を知る・・・。
本書の中では、人から捨てられることを怖れ自分から捨てるーーー自分は傷つかないように別の次元へ逃げ込む、
というような心理の展開が他にも随所に紹介されています。
たぶん未読作品があったとしても、興味深く読み進めることができるでしょう。
本書は「大事な人から愛され、認められたい」という、誰もが渇望するテーマを根底に抱えています。
なんで自分は素直になれないのか悩んでいる方は是非読んでいただきたい!
文体の不快さに参った
★☆☆☆☆
いままで、読み始めて、不快になって途中で放棄した本が3冊ある。
他の2冊はともかく、3冊目がこの本。
したがって内容をきちんと評価できていないということはお断りしておく。
また、母子関係を補助線にして漱石を分析するという方法については、読んだ一部の内容からも評価に値するものだということは申し上げておきたい。
ただ、その文体である。
ですます、である混交体。しかもその文体の混交に、意味もなければ意義もない。ひたすら生理的に不快としか言いようのない文体であった。
もっとも、そうは感じない人もいるのだろうとは思う。
しかし同じ混交体でも、たとえば同様に漱石を論評している大岡昇平氏の文章を読んでみられるとよい。文章の切れ味や心地よさが三浦氏のものとは雲泥の差であることに気づかれるはずだ。
読者あってこその本である。書きっぱなしでなく、伝える・伝わることの重要性に心を配ってほしい。
自己の精神から見た他人という自分
★★★★★
私は漱石の作品がとても好きだ。何故なら男女の三角関係を通して突き放したような冷静な人間観察は現代においても全く色あせることのない魅力と深みを持っている。
私はまずこの本の題名が気になって本を手に取った。私は漱石が生まれたばかりの時に里子に出され、あまり裕福とは言えない幼少時代を送っていたことを知っていたが、それを題材に作品を語る本は今まで(私の中では)なかった。
この本のもっとも興味深い一節は『自殺をするとき自分を殺すのではない。殺すことは能動的だからだ。そして自殺者が殺すのは社会である』
つまり著者が言いたいことは自分という精神は消して死ぬことがないことなのである。
私は彼岸過迄からは漱石はただ単に他人の視点で書かれているとは思わない。漱石は一度血を吐いて『死んだ』体験から自分と自分の精神が離れるという事が出来るようになったのである。
母に愛されなかったこと、一度『死んだ』こと。
漱石はその経験から自己の精神を上の立場へもっていき、自分たちはいかに空虚で利己な存在ということを伝えたかったのかもしれない。
“自分という仕組み”“私という現象”って捉え方こそが「人間」である
★★★★☆
「青春の終焉」「出生の秘密」の、その先の敷衍を、漱石に絞ってやるなんてな。自分ってのがもともと他者から出来上がっているっていうね。自分にとって最初の他人である母親から認められること、自分が母親の身になって自分を認めることが自分が自分であることの証になるっていう。
自分について考えることは人間について考えることです。なぜなら、人間はすべて自分という仕組みを持っているからだ。誰もが私なのです。人間ひとりひとりは有限だが、この自分という仕組み、私という仕組みは無限である。
この、“自分という仕組み”あるいは“私という現象”って捉え方こそが、人間の可能性だよね。
他者に対して、そしてより多く自分自身に対して、自分をどのようなものであると認めさせたいか、そういう人間の心理そのものが人間関係すなわち社会の所産...
母に愛されなかった子という主題は、かつて公共のものとしてあった...
つまり、「公こそ私であって私こそ公」っていう公私の逆説、これこそが人間の根源なんだよね。ただ三浦雅士を自分なりに読み継いで来たものとしては、それってそうだよね、って感じで、目からウロコって感じではない。逆に、漱石の小説に出てくる登場人物たちの「じゃあ、消えてやるよ」といったわかりやすすぎる態度や、愛されていることに気づかない鈍感さはウンザリっていうか、勝手にどうぞ!って思っちゃうんだよな。もちろん、“自分という仕組み”“私という現象”っていうイコール文学みたいなところをガッツリ押さえていたのはすごいんだけど、やっぱ、それ以降、今に至る文学は、それなりに、同じ主題でも微分積分してるっていうか、ストレートじゃないっていうか、手を変え品を変えしなきゃ漱石と一緒になっちゃうっていうね。
今回も楽しませてはもらったけど、正直、「青春の終焉」「出生の秘密」ほどの衝撃はなかったかも。
三浦雅士入門
★★★★★
『出生の秘密』後半部の繰り返しかと思って読んだが、まったく違う。くどさやダルさは消え、噛んで含めるようにリーダブル、しかも深く広い。丸谷才一さながらの「ですます」「である」文体の混淆という異様さに当初驚くが、考えてみれば三浦は、広く一般に読んでほしいと強く願うときは「ですます」を用いるのであった。芸術作品全般を根底的に規制する「心の癖」が母子関係に由来すること、しかも漱石自身はそのことに自覚的であったこと、「則天去私」の意味の転倒の指摘には刮目させられる。文中、漱石が他者に「完璧に乗り移って」描写する夫婦間の対話、三つ巴の会話が讃えられるが、本書では三浦も、漱石と時を超えて一体化している。「私という現象」を二十代から一貫して追い求め続けている三浦にとって漱石は格好の題材であっただろう。著者にとって初の新書であり、その意味で「三浦雅士入門」としてまさにベストの一冊。