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私の話 (河出文庫)

価格: ¥8,863
カテゴリ: 文庫
ブランド: 河出書房新社
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鷺沢萠の心の芯 ★★★★☆
35歳の若さで自ら命を絶った鷺沢萠の自伝的エッセイ。彼女の人生の一部に直接触れることのできる貴重な一冊です。激しく力強く、そして一方でとても弱くて繊細な、彼女の心の芯の一端を感じることができます。

鷺沢萠の小説やエッセイを読んで感銘を受けたことのある人には、いつか手にとって読んでもらいたい本です。
#あ、でも彼女の自殺について心の整理が出来ていない人は、まだ読まない方がよいかもしれませんね。

久しぶりに彼女の作品をまとめて読み返してみたくなりました。
作家はこんなにもプライバシーを露出させなければならないのか ★★★★☆
家族のスタジオ写真。鷺沢のそれほどの「家族」へのこだわり。
彼女、家族崩壊を経験したわけではない。写真はその証拠。立派な家族であり、彼女にとって誇りのはずだ。4人姉妹の末っ子。ペンネームの「鷺沢」は父のペンネームから借りたものである。
それだけなら、たぶんエッセー集「私の話」は鼻持ちならない作品になっていた。
ところが中学のころに、父の会社は倒産。やがて父は死んでしまう。
お嬢さんとして育ったものの、ダブルで受けた屈折。これが彼女の創作に彩をつける。

さらに作家デビューしてまもなく自分に韓国人の血が流れていることを知る。彼女自身は差別など受けたことなどないだろうに、ものすごく敏感になっていく。
ひょっとして鷺沢の祖母が韓国人だったという「余計」な発見をして、自分自身を含め、家族に動揺が走ったのではあるまいか。その罪悪感が、差別への文学的こだわりになっていった、そんな想像が浮かぶ。

民族差別への抵抗や解決といった政治的行動ではなく、差別の構造を心理学的に分析していくわけでもなく、文学的に差別体験のエピソードを描写していく。
それでも、初期作品はそのようなことと微塵も関係なかったためか、非民族的に読者は広く獲得してきた。民族性は鷺沢文学の「意匠」といえる。

愛してやまない家族、自分のこと。「1992」では自分の離婚のことや母の乳がん手術。「1997」では売れっ子作家になっての生活。風呂嫌いのエピソードがあるが、五木寛之が売れっ子だったころのエピソードを思い起こさせる。五木もまた風呂に入るゆとりが無くなったためか、一年間も入らず、髪をまとめるのにツバで髪をなでるなど、嬉しい悲鳴のような話がある。「2002」は神奈川県川崎市の在日韓国人との交流。

初期作品を除くと、本書のように、どうもエッセーの方が小説よりもおもしろい、パンチがある。小説も書けるエッセイストのスタンスのほうがよかったんじゃないかな。
痛々しい魂の軌跡 ★★★★★
軽妙なエッセイ、洒脱な小説、温かみのある韓国にまつわる体験談。
鷺沢作品がとても好きでした。

そんな鷺沢さんが自分の魂にとって、
最も痛々しい記憶を掘り起こして淡々と書いた自伝です。

私は彼女の「韓国もの」に触発され、韓国語を学んでいますが、
その裏にあった、彼女の祖母を巡る物語には
本当に胸を掻き毟られるような気がしました。
でも、それを乗り越えて、色んなものを書いていける方
だったと思います。

いまだに書棚の中の本を目にすると涙がにじみます。
すばらしい自伝的小説です ★★★★★
 著者の人生を1992、1997、2002と3つの時期を切りとって描いた作品です。過去の作品のような瑞々しさとは少し異なる、しかし著者らしい文体で生々しく描いています。何度も胸を締め付けられるような気持ちを感じながら読みました。
 著者の思いが詰まっているすばらしい作品だと思います。
 新作がもう読めないのが残念でなりません。
駆け抜けて行った鷺沢さん ★★★★☆
よくぞここまで、というほどに自分をさらけ出して、鷺沢さんのなかでは「書く」という時点でもう、消化されていたのでしょうね。

鷺沢さんの作品はデビューの頃の数冊しか読んでなくて、良き読者ではないのですが、今はもうこの世にいない鷺沢さんのことを、逆に映し出す本だと思いました。この本からは、まさに駆け抜けて行った鷺沢さん・・・という印象をうけました。無理難題がいっぺんに押し寄せてきた1992年。本当に大変だったですね。賭博にはまり、酒浸り。普通の生活をしようとしても寝過ごす日々。かつての栄光を赤裸々に語る1997年。川崎市の「識字学級」でのハルモニたちとの交流、2002年。この中の崔平舜さんの話が、とてもよかった。そして、離婚した鷺沢さんのことを「あたしたちのころはね、離婚したくったってできなかったんだよ、生活があるからね」と、あっけらかんと言ってのけるハルモニたちが、背負ってきたものが垣間見えると、ジーンとしてしまいました。鷺沢さんの作品を読むことでしか、もう彼女とは会えないけれど、(それは、鷺沢さんが生きている時も同じかもしれなかったことだけれど)こんなふうに駆け抜けて行った鷺沢さんは、きっと私の心にとどまり続けるのだろうな、と思いました。