辛辣な人達です。
★★★★☆
ナショナリズムの克服・・いかに少数的な人々に目を向けることができるか・・ちょっとポイントがずれました、がなんとも説明しがたいです。只国粋主義者は危ないでっせ、という警告にもとれましたが、逆の立場をとってもそこにまた新たな枠組みは必然的に生まれるわけで・・なにがベストっていうことはありえない気がしたそんな本でした。
言葉、単語の定義、これほどしっかりしているとすがすがしい
★★★★☆
特に「民族」という単語についてのくだりでは、喝采を送りたい気持ちになった。種族や人種というものはあっても民族などというものは存在しないという考え方。まさに慧眼だ。唯一使用可能なのは、ごく少数のグループが敢えて自分たちの存在を主張する場合にのみ、例外的に可能という点などその通りであろう。
概念の再構築の手助けとなる一冊。
姜尚中の実利的ナショナリズム視点と、森巣博のヒッピー思考
★★★☆☆
作家・森巣博と、在日韓国人で政治学者の姜尚中〔カン・サンジュン〕による政治対談本である。
姜尚中の知的洗練が際立っている。p59とp200に記された彼の発言を見てほしい。彼はそこで、“素朴な”ナショナリズムがさまざまな“実利”的思考にいかに翻弄され、政治の問題に絡み付いているかを的確にまとめてくれている。
・国際ルール作りを自国に有利に進めるための口実としての〈ナショナリズム〉
・福祉国家から警察国家へのシフトを上が正当化する口実としての〈ナショナリズム〉
・「政治経済」という観点を見落とし、素朴な文化賛美論に終始する〈ナショナリズム〉
これら3つの混同を冷静に論じ分ける視座が、今のナショナリズム論には欠けていると、姜尚中は冷静に指摘する。もはや、素朴な日本人論や政治的論戦では、今のナショナリズム問題を読み解くことはできなくなっているのだ。
こんな彼の的確な知見に加えて、新書にしては豊富なナショナリズム関連の註釈、そして参考文献表も収録されている。コストパフォーマンスに優れた、鮮度の良いナショナリズム入門書である。
なお、姜の今回の対談相手である森巣博の偽悪的で娯楽的な語り口は、姜の議論をうまく噛み砕いて敷居を下げたという点で、高く評価すべきだと思う。だが、最後の方で語られる肝心の思想的内容だけはいただけなかった。
日本のナショナリストは、建前上、他国からの不当な外圧に対抗する戦略概念として〈ナショナリズム〉を採択している。この彼らの政治戦略に潜んでいる「マイノリティ排除は適切」というとんでもない欺瞞こそ日本ナショナリズムの実際的問題なのだが、その実利と感情のねじれを一切無視した森巣のヒッピー的主張は何の役にも立たない。
反〈ナショナリズム〉を標榜する者こそ、ナイーブな平和志向を避けなければならない。理屈なき平和主義は、安易なナショナリストにすら劣る。私たちはどちらを選択するわけにもいかない。
「ナショナリズム克服」の狭さと空虚さ。
★☆☆☆☆
もう、陳腐としか言いようがありません。著者同士の馴れ合いもうんざりです。
まず、「ナショナリズムの克服」の目的が他国民との連帯である以上、
その克服論は他国民にも適用されねばならないというのが前提なはずです。
ところが、これはどうやら日本にのみ向けられた議論であるらしく、
ほとんど他国に向けた話はありません。
ここの対話でこのご両人は、「民族は存在しないが、迫害の対象とされてきた
マイノリティの立場としての民族は存在する」という珍説を展開しています。
明らかに在日を意識しての珍説ですが、馬鹿くさくて話になりません。
じゃあ、ヨーロッパに民族はいないのか。中国の「中華民族」とは一体
なんだという話です。ようするに韓民族至上主義やらなんやらの正当化にしか
作用しない珍説でしかありません。
繰り返しますが、「ナショナリズムの克服」には諸外国にも同様の批判が
向けられねばなりません。それをしないどころか、珍説による諸外国擁護に
走ってる時点で、この本は有害ですらあります。
森巣博とは何者?
★★★★☆
東大教授である姜尚中と、
自称ばくち打ちの作家である森巣博の
ナショナリズムに関する対談本。
森巣博の乱暴な口調とは裏腹に、
あらゆる偏見を取り払った客観的な指摘が満載。
なんとなく読みにくい側面があるものの、
こういった総会かつ明快なナショナリズム論は、
乱暴な口語調な本だからできることなのかもしれない。