狂気。
★★★★★
『リンさんの小さな子』なら、好きだと言う読者が多いだろう。
しかしこれは『灰色の魂』に印象が近い。
いやそれよりももっとずっと重苦しい空気を携えた作品だ。
僕はブロデック、この件にはまったく関わりがない。
この書き出しに「なんて責任逃れなことを」と思いつつ読み始めた。
けれども、時間を行きつ戻りつするその支離滅裂な物語が全貌を表すにつれて、
そう自己弁護してもいい、するしかなかったのだと理解する。
ひとは見えないものを恐れ、知らないものを恐れ、
理解できないものを恐れる(それ故に心惹かれたりもするのだが)。
そのうえ、とりわけじぶんの非道さや残虐さ、陰湿な部分を見せつけられることを恐れる。
アンデラーは、そういう存在だったのだ。
異質なものをなるべく遠ざけ、排除しようとすることが生物の本能であるとはしても、
わざわざ異物を作り出してスケープゴートに仕立て上げる荒業は人間にしかなしえないことだろう。
人間の尊厳を踏み躙る行為の描写には吐き気をもよおしながらも目が離せない。
そう。途轍もなく面白いというよりはブロデックが何をしでかし、
何をしなかったのか、これからどうなってしまうのか、
どうするのかが気になって最後まで読み進めたというほうが正しい。
卑小なコミュニティの中に起こる狂気を、誰のこころにも潜んでいる狂気を
ブロデックという青年に半生を語らせることによって浮かび上がらせている。
読む者にそのことを意識させずにはおかない。考えずにはいられない。
第二次世界大戦は、未だにこれほどの狂気を孕んでいる。