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小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

価格: ¥546
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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基本的には日記 ★☆☆☆☆
著者は「小説の神様」とかよばれている。だが、私には、著者が書いたようなものは小説ではない。

日本では「私小説」という変なジャンルがある。だが、私には、個人の記録がどうして文学になるのかよくわからない。この手のものは「日記」である。

志賀直哉のものは、多少読んだ。『城崎にて』『小僧の神様』。確か『暗夜行路』も志賀直哉の作品だったと思う。私はこれら一連の作品が小説だとは思えない。

私が小説だと思うのは、1605年に初版が出た『Don Quijote』である。

ノルウェーのブック・クラブが50数ヵ国の著名な文学者に投票をさせた。世界一の文学作品を選ばせたのだ。我が国からは紫式部の『源氏物語』と川端康成の『山の音』が選ばれた。シェークスピア、ゲーテ、トルストイといった文豪の作品をおさえて世界一になったのはセルバンテスの『ドン・キホーテ』であった。『 ドン・キホーテ』には、人生の叡知がある。高尚な思想もある。他人への愛もある。だが、志賀直哉の作品に何があるというのか。何もない。
こんなに読みやすいとは、知らなかった。 ★★★★☆
志賀直哉には暗くて重いイメージがあった。
ところが、読んでみてそれは180度変わった。
こんなことを言うと、志賀直哉の研究者には怒られるのかもしれないけど、
僕にはこの作品たちが、現代風の、ちょっと皮肉の聞いたヒューマンドラマのように感じられた。
文学者は往々にして性格のきつそうな人が多いけれど、志賀さんとなら友達になれそう。
なんちゃってね。
以下、印象に残った作品をピックアップして感想を。

「城の崎にて」
「最高の短編」と名高い作品をようやく読んでみた。
一般的な評価はどうでもいいが、この作品の心象風景の繊細さ、
微妙さは確かに一見の価値があると感じた。
ストーリーはなんと言うこともない、穏やかに流れる日常だが、
交通事故にあって死に掛けた主人公には何もかもが違って見える。
死というものが日常のすぐ隣に何の激しさもなく寄り添っているのだ
ということを、改めて思い出させる。
「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。
それ程に差はないような気がした」
そのことを思い出すためだけの、小さくて静かな作品。

「好人物の夫婦」
この作品、かなり好きだ。
志賀直哉という作家はどことなくくらいイメージだと思っていたのだが、
この作品はとても暖かい。そしてコミカルで微笑ましい。
主人公は夫婦の、夫のほう。
ちょっと浮気癖があるが、妻を愛している。
妻の親の具合が悪くて、妻が家を空けていた後、
絶妙のタイミングで夫婦の家の女中が妊娠してしまった。
はたとあわてる夫。やれ困った。
今回に関してはなんらやましいところはないんだけど、
普段のことを考えると疑われてもしょうがない。
さてどうしよう、という話。
こんな志賀直哉の作品があるなんて、意外でしょう?
驚くほど読みやすいので、ぜひ読んでみて。

「小僧の神様」
これまた非常に有名な作品。
でもこっちはそれほど印象に残らなかったな。
でも、考えさせられるところはある。
結局のところ世界はどうしようもないほどに相対的で、
目に見えていない世界は、当人にとってはないのと変わらないのかもしれない。
自分とまったく関係ないところから急にふってきた出来事は、
まるで「神の仕業」のように見えるのかもしれない。
志賀直哉は、そういう狭い世界に住む「小僧」をかわいそうだ、
という目で見ているようだけど、それが不幸なのかどうか、
僕にはよく分からない。
情報化された今の社会では、自分と関わらないような外の世界について、
「知ること」だけが、容易にできるようになってしまった。
自分が手の届くはずのない極上の寿司を食べることができたのは、
神様の仕業に違いない、と考えて、
悲しい時苦しい時にその事を思うだけで慰めになったという小僧と、
神などとはまったく関係なく、社会の枠組みによって、
自分には決して手の届かないところがある、と知ってしまっている現代人と。
はたして、どちらが「かわいそう」なのだろうか。
思想がなくとも文章が書けることの証明。 ★★★★☆
『小僧の神様』『焚火』『城の崎にて』……どれも小奇麗な美文である。
その代わり、言いたいことはよく分からない。おそらく、無いのだろう。
様式美を目的として様式美それ自体が実体化したような美文に思えた。

『城の崎にて』はまだ作者の心の動きが表れているものの、
「思想」と呼べるほどにクセのあるものではなく、
ごくありふれた一般論を小ぢんまりと気取って言われたような印象だった。

逆に言うと「思想性」あるいは「筋書きの娯楽性」が無くとも、
作品が作品になることの証明であるように思う。
思想フェチやエンタメフェチの読者の好みには当然合わない訳だが、
これはこれでアリだとは思う。

なお、様々な作家が志賀直哉とその作品を論じているが、
未読の方には、そういう知識を仕入れる前に空っぽの心でこの本を読まれることをお勧めしたい。
色眼鏡を掛けるのは後でも良い。
現地にて ★★★★★
志賀直哉は特に好きという訳ではない。
有名な作家で、「城の崎にて」も読んだことがありました。

城の崎に旅行に行く機会がありました。
城の崎は情緒溢れる古びた温泉街で、のんびりとできました。

本を片手に、待ちを歩いてみて、描写の精緻さを味わいました。
のんびりと、文学を読み漁ったり、私小説を書いてみたりするのによいところだと思いました。

個人的な話になりますが、自分の盲腸の手術の時に、麻酔が効かずに 「ノーキエロ」とスペイン語で叫んだことがあります。
人は窮地に追い込まれると何を言うかがわからないという経験かもしれませんn。
私小説は、他人には分からないかもしれないということの証かもしれません。

私小説の好き嫌いは、小説の中の経験について興味が持てるか、同感できるかかもしれません。
好き嫌いがあってこその私小説だと思われます。
全員が好きになるような私小説は、定義と矛盾していておかしいかもしれません。
「小説の神様」の短編集 ★★★★★
◆「清兵衛と瓢箪」

  作者自身の父子対立が投影された作品といわれていますが、
  そのような文学史的知識がなくても、一篇の小説として、
  非常に完成度が高いので、充分たのしむことができます。


  清兵衛の趣味に対する周囲の無理解や理不尽な抑圧が露骨に描き出される一方、
  清兵衛自身は、それに対して必要以上に萎縮したり鬱屈することなく、後には絵という
  新たな趣味に目覚め、マイペースを貫いています。

  その姿が実にすがすがしいです。

  もちろん、清兵衛の目利きが確かなものであったと
  証明されるくだりも、若干ベタですがやっぱり痛快。


  ただ、そんな清兵衛をなおも苦々しく思っている彼の父が示す
  「最後の一行」の行為は、今後の波乱を予感させ、不穏な余韻を
  残しており、本作にふさわしい絶妙の下げだといえましょう。