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暗夜行路 (新潮文庫)

価格: ¥935
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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つまらないものはつまらない。 ★☆☆☆☆
ここまでつまらない小説が実在することに感心してしまった。
私が今まで読んだ小説の中ではダントツでつまらなかった。

なににつけても億劫がり、他人を頼り切りで、自立しようという発想のカケラもない時任謙作。
高等遊民とはこんなにノンキな生命体なのか。ただのワガママなオッサンにしか見えん。
徹頭徹尾思考回路が駄々っ子である点は醜悪に感じられた。

叙景描写は多少良いのかもしれない。一方で感情描写は単調で飽きる。
時任謙作は作中で何度「いやな気がした」とつぶやいたのであろうか。まるで赤ん坊ではないか。

とりあえず、作者の美文を味わいたいだけならこの小説に手を出す必要はない。他の小品を読めば済む。
真のつまらなさを体感したい、という猛者以外は読む必要がないと思う。

こんなのを名作扱いしなくてはならないほど、日本文学は貧しいのか。
評価が分かれる作品? ★★★☆☆
 率直に申して本作は私の肌には合いませんでした。とても読みやすいのですが、あまり深みが感じられないのですよね。
 失礼な言い方を許してもらえば、文章がうまい人のブログを読まされている印象です。朝起きて○○しました、昼に○○しました、夜は○○に出かけましたといった瑣末なことを書きなぐった長文・・・。そんな文章に感じてしまいました。
 本作からテーマを読み取ろうとすると、主人公の心理的な葛藤のようなものなのでしょうか? しかし、そのようなテーマは珍しくもなんともなく、また、深い分析がなされているわけでもありません。私の読み方が浅いのかもしれませんが、心に迫ってくるものがありませんでした。また、心理描写は表面的、ストーリーや人物設定はやや思いつき的であり、小説の完成度は決して高いとは言いがたいように感じました。
 たぶん当時としては、このようなスタイルの私小説は珍しかったので、関係者から注目を浴びたのかもしれません。その意味で、この作品を日本文学の記念碑として崇めるのは同意します。しかし、名作かと言われると首を傾げてしまいます。
何が何でも自我肯定 ★★★☆☆
 志賀直哉という人は「スーパーエゴイスト」だとどこかの学者が言っていました。実際「それは僕の知った事ではありません」とか「あなたはそれでいいよ。然しこっちまで一緒にそんな気になるのは御免だ」といった風に、<自分さえ良ければいい>という感じが少なからずします。主人公が他人の歪みに怒ったりするところもあちこちある、小説全体は何というか大体一本槍形式でストーリーの変化はやや乏しい、そんな風に言うとろくな小説じゃないように思われるけど、「罪を罪のままに押し通している女の心の張り、その方に彼は遥かに同感が起こるのであった」とか、「心で貧乏する、これほど惨めな事があろうかと彼は考えた」といった風ないわゆる「自我肯定」はそれなりに良さがあります。
 それに、作者も全然自己批判をしないわけではありません。428Pを見ればわかります。
 そして、自我肯定とともに、自然に対する一種謙虚とも思える感性が光っています。
 おそらくこの作者は、ストーリー展開などより詩人的な文章の洗練にその本領があります。大山の風物の描写はなかなか凄いです。しかも、漱石ゆずりかと思われる、人間本位文明に対する批判も、何か先駆的なところがあります。
 私小説という形式は、自信のある人間が適しているかもしれません。ウジウジ悩む人間の私小説は、暗くて読む気がしなくなるだろうというものです。
不思議な「名作」 ★★★★★
名作だが不思議だ、というのは以下の理由による。1)実際本書は大変な難産で何度か中断し、長期に亘ってやっと完結した経緯がある。かなり構成や文体が揺れており、一貫性という観点では、非常に荒れている、と言わざるを得ない。人物設定も物語の最初の頃は、思いつきが多い。2)全4部からなるが、特に第1部の文章は著者らしくなく、苦心が前面に出ていまひとつ。文章が説明調になっている箇所もしばしば。そのため著者自身が嫌う唐突な形容詞による表現が頻発する。しかし第2部以降は本領を発揮し、本来の著者らしい格別な描写力を発揮する。3)第2部以降は、この著者の文章力で引き込まれ、内容や構成、話の展開、心理描写などに疑問を残しつつも、それに拘泥させずに読者を引っ張っていく力があり、短編ならともかく、長編においてこの密度を持続させたことは感嘆しても仕切れない。難産だった理由は、一つには、1人称的な小説に本領を発揮する著者が、三人称で小説を展開し、うまくいかなかったことにあるのではないか(習作「時任謙作」は大正元年、前半完成は大正11年、その後当分書かない)、と思った。尤も、本書の名前で出版した時は、最終の部以外は大体できていたということだそうで、著者の引っかかりは他にあったのかもしれないが。いずれにせよ第1部の仕上がりは感心しない。。2部以降も三人称だが、「謙作」を「私」に置き換えても大過ないような書き振りに戻っている。序詞は「私」の一人称だがその据わりのよさと、2部以降の据わりのよさ、これに反して1部のなんともすべりの悪い文章は、明らかだ。三人称で書く際の距離のとり方、鳥瞰の仕方など解決できないことがあったのかもしれない。それにしても、お栄(祖父=父の妾)と結婚すると言い出すあたりは、分からなくはないが唐突で、一回り以上の年齢差を話の筋から度外視している書き振りにはやや不自然を感じる。子供の死亡、直子(妻)の不倫発覚のあたりは急展開で読ませるが、案外に、陰湿な展開にはならないことは著者の性格か。私はそういう著者が好きだが、今の時代ならもっとエグイ展開を要求する向きもあるだろう。主人公の複雑な生い立ちをテーマに展開する半生は興味深いが、決してのめり込まず、描写と心の動きと物語の展開がひとつになった流れは日本語の美しさと機能を最大限に発揮していると思う。描写することが思いを語ることで、事柄を展開することにもなるというのは日本語ならではのすばらしさか、と思いたくなる。絶対に「名作」だが、また、今となれば描写される世界は「文化史」の資料にもなると思える。
自分探しの旅 ★★★★★
私の故郷は尾道です。本書の前編において尾道は重要な舞台となっています。だからこそ私は今まで本書を読んだことがありませんでした。それは東京人が「はとバス」に乗らないような、大阪人が通天閣に昇らないようなそんな感覚で、余りにも存在が近すぎたからです。30半ばになってはじめて本書を読みました。一言で言えばこれは志賀直哉の自分探しの旅の小説だと思います。主人公の謙作は自分の出生の秘密について以前から薄々気が付いており、その事が常に謙作の心を不安定にします。その後のあらゆる場面において謙作の気持ちが大きく左右するのが非常にリアルに描かれています。自分でも分らないけどすごく自虐的になったり、暴力的になったりと自分で自分の心がコントロールできないことって皆さん経験があると思います。そんな自分でも分らない気持ちを人に伝えることは難しいことと思いますが志賀直哉はそれを見事に表現しています。小説の神様と言われた人だからこその偉業だと正直感心しました。