30年ぶりに再読したが新鮮だった。
★★★★★
本書の中の陳舜臣さんとの対談、”中国を考える”は、’78年刊行された同題での文庫本で読んでいたから再読したことになった。両氏の対談を、30年ぶりに読んだのだが、本当に新鮮に感じてしまった。
’78年刊行の文庫本を手にとって、司馬さんの書いた後書きを読んでいたらこんなことが書いてあった。
「中国という国もしくは社会は、社会主義をすすめる一方で、ときにその方向と理論的には相反するかに見える近代というものの密度を緻密なものにしてゆかざるをえない、というむずかしさをどう仕様もなくかかえこんでいる。」
今から丁度32年前に、司馬さんが書いた言葉の意味、”近代の密度を緻密なものに・・”は、現代中国が見事に達成しつつあるように思われる。
司馬さんが一回目の中国を訪れた時は、四人組が台頭したころで、二回目がその四人組が追放されたあとだったから、四人組の悪弊を、21日間の滞在中に、辟易してしまうくらい聞き続けた氏は、こうも書いている、「このすぐれた国家と聡明な民族のなかに、数千年前からかかえこみつづけている荷厄介な古代が容易なことでは消えないのではないかと思った。」、と。