爽やか陽水
★★★★★
音はAOR。高中正義氏のメロディアスなギターと、星勝氏のアレンジした美しいストリングスが絡みあって、聴きやすいサウンドに仕上がっています。
“新キャラ”陽水がねじれる時、高中が笑う
★★★★★
一般的陽水史観に寄れば、
氷の世界の大ヒットによる後遺症と長い低迷期の後、
(とはいえ、二色の独楽も招待状のないショーも大好きですが)
最悪の事件があって。。。。
戻ってきた陽水が久々に放ったヒット曲(なぜか上海)を含む本作は
フォークでなくニューミュージックな陽水を印象づける良作なのだけれど、
大筋そこに異存はありませぬ。
とにかく久しぶりに聞いてやはり驚くのはその微妙な「キモ明るさ」である。
実に爽やかに、変で明るい。別に困っているわけではない。
陽水中最も楽しいアルバムと言って良いだろう。
相撲協会がレゲエだったり、淫行風なマンボ、ブラコンwな表題作など
リズムもはじけており、良いのである。
そこにサンタナ風のギターが炸裂し、もしやと思うともしやなのである
このしゃきしゃき感、キュオインキュイン感あの人に違いないと思ったらやはりいました、アレンジ高中正義さん。
まだラテンフュージョンで人気になる前サディスティクスな頃のお仕事
このあかるかるいサウンドが前作Whiteのころから絶妙にはじけだした
よくわからん、おげんきですかぁ〜な陽水詩の世界がいい具合にはじけだしており、
ラーメンでいうとんまいんまいという感じでつるつるっといける仕上がりなのだ。
80年代を彩る陽水の活躍はこの後から安全地帯的に始まるのだけれど、
いまさら私はこの高中なアルバムが非常にお気に入りなのである。
しかし、この人多重露光好きですな
下あごの真実。
★★★★☆
久しく入手困難だった名盤『スニーカーダンサー』が
デジタルリマスターされて登場。
世間的にはこのアルバムは、
離婚(1976年)、大麻所持で逮捕(77年9月)、
新曲を出してもチャートインしない時期を経ての
復活の新譜という形になっているし、事実そうである。
でも、陽水さんは、ただ元気になって業界復帰しただけではありません。
大きな変化、収穫を伴って帰ってきたのです。
それは何か?
石川セリさんとの再婚(78年8月)。それもひとつでしょう。
そしてもうひとつ。
「下あごの真実」です。
それまで陽水さんを支えていたのは、言葉の真実味であり、
テレビに出ない理由を聞かれて「詩が汚れる」と答えているように、
非常にストイックな姿勢です(このあたりは ポンタ秀一氏の『自暴自伝』に出ています)。
『スニーカーダンサー』で聴ける陽水さんの、明るく、推進力がある、
堂々とした歌唱、歌声は、
以前とは全く違う性質のものになっています。
陽水さんは、言葉の真実のさらに向こうに、
下あごの真実があることを発見したのです。
人の声質は、あごの骨格が決めるといいます。
陽水さんや、スターダストレビューの根本要さんの顎の骨格は、
非常に立派な形をしています。
その自分の下あごが、心地よいと感じる響きに、純粋に従うこと。
下あごの真実は、歌手やソングメーカーにとっては、ある意味、
言葉の真実よりも根源的で、純粋です。
「あごが気持ちいいから。あごがそれを望むから」
そう答えられること。そう言い切れる自分。それでいいという確信。
その歌唱・創作原理をしっかりと手に入れて、
かれは新作『スニーカーダンサー』を作りました。
「人生が二度あれば」のサビのフレーズと、
「なぜか上海」のサビのフレーズは、近しく響き合うものですが
同じような真実味で、同じかそれ以上の切実さで、
彼は「海を越えたら 上海」と歌えるようになりました。
彼にとって、ミュージシャンとしての人生は
とても幸いなことに、”二度”あったのです。
この発見と歌唱法とソングライティングに必要とされ呼び込まれたのが、
『スニーカーダンサー』と同年に、
アルバム『JOLLY JIVE』(1曲目が「ブルーラグーン」)をリリースする
高中正義氏でした。
10曲中5曲が彼のアレンジ、他の5曲は星勝さんです
(高中さんは9曲でギターを弾いてます)。
最後に、デジタルK2リマスターについて。
ネットの視聴システムで、
2001年5月30日リリースのデジタルK2リマスターシリーズ
(『招待状のないショー』他)を聴いて、そのあまりの音の鋭い切れ、抜け、
粒だちなどに驚いて、さっそく購入してみました。
たしかにレンジは広がり、SN比も向上し、すべての音がクリアーで
音感も分厚いのですが、
楽曲が要素のひとつひとつにきれいに分離しすぎてしまい
一丸となって表現しようとする意思や、熱気みたいなものが消しとんで、
なくなってしまっている気がします。
ヘッドホンで聴くと、
ビニールみたいな新品感というか、
なにか非常にイヤーな人工感があります。
すべてが優等生的ないやらしさ。
気持ちよくどこまでも広がっていくような爽やかさ、
音の迫力じゃないのです。
これは逆の意味で、驚いた点です。
ただし、アルバムラストの曲、「勝者としてのペガサス」。
アナログ盤で聴いていたときは、この曲が、いまいちよく分かりませんでした。
でも今回のクリアーな音質で聴いてみて、
これが何なのか、陽水さんが何を歌おうとしているのか
分かった気がしました。
高中 正義との調和が絶妙
★★★★★
「断絶」「センチメンタル」「もどり道」「氷の世界」「二色の独楽」と陽水は黄金期を経て、陽水、星 勝、多賀 英則の黄金トリオを解消した。そして独自の世界をもっと深めるべく、船出をした。自身の音を追及したのだが低迷期に入っていった。が、である。純然たる陽水の音が完成したのである。それが「スニーカーダンサー」なのである。前作の「white」で覚醒を始めた陽水が、高中 正義とのコラボで前作に勝るとも劣らないアルバムを完成させた。タイトル曲は勿論、名曲の「なぜか上海」「海へきなさい」それに小室 等の曲「事件」も素晴らしい。曲の数だけ聴きどころのあるアルバムである。私の思う黄金期は前作の「white」から「スニーカーダンサー」「あやしい夜をまって」「ライオンとペリカン」までが本当の黄金期だと思っている。その後の陽水は円熟期を迎えるのである。ずいぶんと勝手な事を書いたが、自分はそう信じて疑わない。陽水の真骨頂を十分堪能できる「スニーカーダンサー」決して損のないアルバムである。
陽水31歳の充実期のアルバム
★★★★★
このアルバム昔とにかくよく聞きました。好きな歌が多いです。
「なぜか上海」が一番有名で私も好きな曲の一つですが、私には「今夜」の独特な真夏の夜の雰囲気と青年のやる瀬ない思いと孤独を綴った幻想的な詩の世界が自分の気持ちにぴったり来て好きでした。この歌には、梶井基次郎の小説「檸檬」にあったデカダンスの匂いと一脈通じる世界があるように思えます。
「ジェニーMylove」も好きでした。高中正義のギターとの絶妙の調和がいいです。
このアルバムでは全般に高中のギターが魅力の一つでもありました。もっとも高中のギターは「夢の中へ」ですでに採用されていますから、陽水の初期からの縁ですね。
「娘がねじれる時」の詩はやや雑な感じもありますが、彼のモラリストとしての本質を表わしていて、現代の未成年の性的退廃と家庭崩壊を予見した、すごいものだと今でも感心させられます。
「勝者としてのペガサス」は導入の虚無的で、不安感とどこか諦めのような何ともいえない覚めた心象風景の絶妙な感じが好きで、他の曲にはないユニークな歌です。
これほどの豊饒な魅力を備えながらも、あの頃の陽水の売れ行きはイマイチでした。ファンとしてそれが悔しかったのも今では遠い思い出です。当時のニューミュージック界の人たちは概ね勢いが下降気味ですが、陽水は還暦を目前にして大御所としての地位を不動にしつつあります。この人は才能においても運勢においてもどこか神がかり的だと思えてなりません。
陽水31歳の創作力の充実していた時期の所産です。