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意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス)

価格: ¥1,674
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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ショーペンハウアーの道徳論 ★★★★★
 最終巻となる本書には『意志と表象としての世界(正篇)』の第四巻「意志としての世界の第二考察」および序文が収められている(付録の『カント哲学の批判』は収録されていない)。
 第四巻の冒頭でショーペンハウアー自身がおごそかに宣言しているとおり、『意志と表象としての世界(正篇)』のクライマックスである本書では、生(性)と死、善と悪、などといった倫理的な問題が集中的に論じられている。ショーペンハウアー哲学に対する「性と死の哲学」という形容は、この第四巻のためにあるといっていい。
 世界は私の表象に過ぎず、知性は意志の奴隷に過ぎない。その知性が意志に対し謀反を起こし、芸術という形で脱却する可能性が第三巻において明らかにされた。だがそれは天才において、しかも一時的に発生する束の間の夢でしかない。知性が永続的に意志から解き放たれる可能性はないのだろうか。
 意志の否定。それがショーペンハウアーの解答である。意志に翻弄され苦痛を味わい尽くし、最終的に意志を否定する境地にたどり着くこと。それが解脱であり、悟りへの道である。だがそれは自殺ではない。自殺とは意志の強烈な肯定でしかない。意志が否定された暁には、私は夢から覚め、世界は無に帰することであろう――。
 預言的な内容を含む本書は、事実宗教と、とりわけ仏教(インド哲学)との親和性が高い。だがショーペンハウアーは預言者としての道は歩まない。哲学者は聖人である必要はないからである。本書を読んだニーチェがやがてツァラトゥストラとなり、意志の肯定を説くことになるのとは対照的である。
 ダイナマイト・ニーチェの導火線に火を点けた本書を読まずして、ニーチェ哲学の理解は覚束ないであろう。これなくして哲学者ニーチェは生まれなかったであろう本書を、ニーチェ研究家の西尾による名訳で読めるわれわれ読者は幸せである。
博識・ショーペンハウアー ★★★★☆
世界とは、その本質である唯一同一の「意志」が数多性の原理のもとに現象化したものであるが、この4巻では、その世界の実態と、その世界の中における人間の行状について述べられている。
・・・世界における悲惨は、「意志」の肯定が行き過ぎるというところにその根があり、その救済は意志の否定によるとし、世界の本質とその実態を十分に把握した個人は、その本質と同一のものである自分の本質(意志)について思索し、高潔な人物にあっては、その行状において、徳から禁欲へと解脱への道を一直線に突き進むこともあるであろう、と述べられている。
そして、そのような行状を通じて完全な無意志状態に至った個人は、その状態を保ち続ける限り、世界を芸術作品を鑑賞するような心持ちで眺めるであろう、と述べられている。(それに関連してキリスト教や仏教の聖者の行状の内的意義が説き明かされている。)

個人的な感想を述べると、前半のショーペンハウアーの世界観についてのところはかなり重く感じたが、中盤あたりからの内容は、まさに自己の「意志」の「鎮静剤」としての効果があるものだと感じた。激情を抑える効果があるのではないか、と思った。
















続きが・・・ ★★★☆☆
「意志と表象としての世界」の正編はここで終了。
文中、詳しくは続編で、のような註がところどころあるので、
続編のほうも続けて出版してほしかった。
個人的には、ショーペンハウアーが売れるきっかけになった
余録と補遺まで出してほしいが、そうなると全部で10巻ほどに
なってしまい、プチ・ショーペンハウアー全集のようになって
しまうなぁ・・・
ショーペンハウアーの主著 ★★★★★
中央公論で出ていた、世界の名著の一巻本は絶版で手に入りにくい状況です。それでこの三巻本になったこの本を購入しました。