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自殺について 他四篇 (岩波文庫)

価格: ¥497
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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ショーペンハウアー=自殺論者という誤解 ★★★★★
 ショーペンハウアーの哲学はしばしば厭世主義(ペシミスム)と評される。「ショーペンハウアーは自分の著作の中でペシミスムという言葉を使ったことはない」と西尾幹二は解説しているが、そのことは彼の哲学がペシミスムであることと何ら矛盾しない。事実「意志の否定」を説いた彼の哲学が否定に満ちていることは読めば一目瞭然であり、ニーチェがそのアンチテーゼとして「意志の肯定」を説いたことからも、ショーペンハウアー哲学が厭世主義的であることは歴史的といってもいい事実である。
 恐らくはそのためであろう。『自殺について』というタイトルから、これはショーペンハウアーが自殺を肯定している本に違いない、と誤解している読者が多いようである。それどころかショーペンハウアー=自殺論者と考えている向きもあるようである。だがそれは全く違う。
 本書においてはもちろんのこと主著『意志と表象としての世界』においても、ショーペンハウアーが自殺を肯定したことはただの一度もなく、むしろ否定している。「意志の否定」を説いた哲学者が自殺を肯定しないのはかえって不自然に思われるかも知れないが、驚くことは一つもない。なぜならショーペンハウアーにとって自殺とは「意志の否定」ではなく「意志の強烈な肯定」にほかならないからだ。
 本書においてショーペンハウアーが糾弾しているのはむしろ、自殺を罪悪とみなすキリスト教的ドグマである。そもそも『自殺について』というタイトルとは裏腹に、本書において自殺に関する議論はほとんどない。「死」や「現存在の虚無性」や「世界の苦悩」といった言葉が並んでいるが、それは自殺とは直接関係がない。せめて『死について』というタイトルにでもしていれば、まだ誤解は防げたのではないかと思うのだが。
『意志と表象としての世界』ダイジェスト ★★★★☆
『自殺について』との表題が、果たして一般にいかなる印象を期待させるものなのか、寡聞に
して私の知る由もないところではあるが、本書はショーペンハウアー『付録および補遺:哲学
小論集Parerga und Paralipomena:kleine philosophische Schriften』の抄訳、第2巻の
10章から14章までを収録、「自殺について」はそのうちの1章のタイトル。 
 要するに、このドイツ人哲学者の主著たる、あの膨大な『意志と表象としての世界』の
ダイジェスト、と言っても差し支えない一冊。
 自殺は必ずしもメインテーマにはあたらない。例によって時間や意志の話を繰り返し、その
行きがかり上、多少、死や自殺の話が混じる、という程度。
 本書は日本語でほんの100ページ程度、とはいえ、短いことは必ずしも分かりやすいことを
意味しない。私の見たところ、デカルトの「我思う、故に我在り」や心身二元論の話とか、
カントの現象と物自体の話などは前提としてある程度知っていないことにはついていけない
だろうし、畢竟、本人のあのテキストを読め、ということになるのかも知れない。

 だからといって、そんな小難しいことなんか知らねえよ、という方にとって全く無益な
テキストとも思わない。それが筆者の意図に適うかどうかはさておき、端的に並べられた
金言集として読んでも、そう悪い本でもないとは思う。
真理の探求と、名言の連続 ★★★★★
 本書は、ショーペンハウアーへの最高の入門書である。これほどページ数が少ないのに、内容の濃さ、気高さは驚くべきものである。読んでいるうちに、しばしば鋭い名言に出会うことになる。また、哲学書にしてはわかりやすいので、解説は不要である。ここでは、少し文章を引用するにとどめたい。

《ヨーロッパの哲学のすべての倫理学と私の倫理学との関係は、あたかも旧約と新約との関係――この両者の関係が教会によって理解されているような意味において――のようなものである。即ち旧約は人間を律法の支配のもとにおくのであるが、しかし律法によっては人間は救済へと導かれえない。これに反して新約は律法を充全ならざるものと宣言している、否、律法から人間を解放しているのである。新約は律法に対して恩寵の国を説く、そして人間は信仰と隣人愛と全面的自己否定とによってこの恩寵の国に到達するものとせられている、――これが即ち悪とこの世からの救済への道であるということになっている。》
哲学です ★★★☆☆
自殺を肯定しながらも、絶対的な賛美はしない。それは『自殺について』が紛うかたなき哲学書であるからだ。哲学が文学とは異なるカテゴリー、つまり学問としての要素が強い分野に身をおいている以上、主観のみで成立することは許されず、常に客観性を伴っていなくてはならぬ。故に私のような、主観しか所有せぬ者は、この本に居心地のよさを求めることはできないであろう。さすれば、かくの如き人物は、文学の虜となるものを。