巧みな比喩でわかりやすい哲学
★★★★★
ショーペンハウアー哲学の最大の魅力は、何といってもそのわかりやすさであろう。それが仇となってアカデミズムの世界では軽視されがちだが、わかりやすさと深さとは決して矛盾しない。概念ではなく直観を重視したその哲学にふさわしく、彼の叙述は具体的でありカントやヘーゲルなどの難解さとは一線を画している。
本書はそんなショーペンハウアーの魅力を最大限に伝えるアフォリズム集『パルエルガ・ウント・パラリポメナ』の中から、主に認識論に関する雑文を抜粋した哲学エッセイ集である。岩波文庫からは同趣向の本が計三冊出ているが、それらの中では本書が最も哲学的であるとは言える。
ショーペンハウアーは比喩が上手く、ときに詩的ともいえる表現を使うことさえある。例えば時間と空間が客観的実在ではなく主観的形式に過ぎないというカントの観念論を表現するのに「世界の事物は時間という縦糸と空間という横糸が織り成す織物の上に盛られる」というような言い回しを使ったりする。あるいは同じく空間の主観性を証明するのに「われわれは空間を空っぽにすることはできるが空間そのものを取り払って考えることはできない」という巧みな論理を持ち出したりする。フランス的ともいえるこの明快さは、ショーペンハウアーが幼い頃商人になるために単身渡仏させられ、帰ってきたときにはドイツ語を忘れていたくらいフランス人化していたことと関係があるのかも知れない。
著作家の傑作は晩年が多い、とショーペンハウアー自身が言っているが、若くして書き上げた大著『意志と表象としての世界』よりも、晩年にコツコツと書き継がれた『パルエルガ・ウント・パラリポメナ』の方がはるかに読みやすいことは確かである。ショーペンハウアー哲学のエッセンスが凝縮された本書は、岩波文庫からの他の二冊および新潮文庫の『幸福について』と並んで、恰好のショーペンハウアー入門書と言えよう。
ショーペンハウアーの知性は高すぎる
★★★★★
主著である『意志と表象としての世界』を読んだ後でも、この本によって改めて筆者の偉大さが分かった。その鋭く整然とした理論は、読者がそれに共感することができれば、ショーペンハウアーの高い知性に一歩近づけてくれるのではないか。以下に引用を載せるので、興味を持った方はぜひ読んでほしい。
《カントが発見した「時間の観念性」ということは、実を言うと、力学で説かれる「慣性の法則」の中に、すでに含まれている考えである。というのは、この法則が根本において意味していることは、「単なる時間はいかなる物理的効果をも生じえない、従って時間だけでは、物体の静止と運動にすこしも変化を加ええない」ということであるが、このことからしてすでに、「時間は物理的実在ではなく、先験的な観念的存在であり、従って事物からではなく、認識主観から発現するものである」という結論がでてくるからである。》
《それゆえに、第一級の精神の持ち主たちは、決して特定の専門科学に身を捧げないであろう。全体への洞察を、あまりにも深く心にかけているからである。彼らは、将軍であって隊長ではなく、オーケストラの指揮者であって演奏者ではない。》
毒舌な知性論
★★★★☆
哲学というものを手にしたのはこの本が初めてです。
なんとも毒舌でユーモアたっぷりの面白さじゃありませんか。
哲学書というとどうも縁の遠い小難しいものだと思っていましたが、本というものは読んでみないと分からないものですね。展開されるハウエルの痛烈な皮肉や批判、賢者と愚者の見分け方、愚者の手口の数々。考え方によってはただの悪口本のようです。
不届きにも電車の中で笑いをこらえつつ読んでしまいました。
納得できる内容あり、突っ込みたくなる内容もあり、ハウエルの皮肉とユーモアが良いのか、はたまた哲学とはそもそもこれ程面白いものだったのか、この本以外の哲学書を知らないので何とも言えないのですが、哲学が小難しいものだと思っている毒舌好きの人にはお勧めの一冊です。
面白い哲学書
★★★★☆
これは普通に散文として読んで面白い、珍しい哲学書だ。ショーペンハウアーの人となりは、全く知らないが、よほど辛口なユーモア・センスの持ち主だったようだ。「人間が議論に負けそうになる時にする言い訳」なんて、思わずニヤリとしてしまうくらい、鋭い指摘がなされている。ショーさん(失礼)は「人生とは失意と挫折、絶望の連続だ」と言い切ってしまっているが、似たような考え方の僕には、その辺が共感しやすいのかも。でも案外ショーさん、それなりに人生を楽しんでいたんではないかなぁ、などととも思う。ユーモアのセンスは、本当に暗い人間には与えられないものだから。
なにげに
★★★☆☆
学習方法について述べている。
しかも、安いっしょ?
必見だ~~~!