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ごんぎつね (日本の童話名作選)

価格: ¥1,512
カテゴリ: ハードカバー
ブランド: 偕成社
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読み返すたび新たな悲しみに打たれても美しい、日本の絵本の至高の一冊 ★★★★★
 宮澤賢治そして新美南吉は、子どもだけを読者対象と考えていたのだろうか。この本物のテキストを読み返すたび、日本らしい道徳意識や諦観にあふれた筋のせいで、必ず容赦ない悲しみに襲われてしまう。
 「おれと同じ一人ぼっちの兵十か。」という、ごんのひとりごとがいつまでも心に響く。野生のごんは、生きていくためには後先考えず、食べ物を得なければならない。そして、人間は少しのすれ違いや誤解で、まわりの運命まで変えてしまうこともある。火縄銃で打たれるごんはあまりにも哀れだが、兵十だって母親を失ったうえ、なんとなく「神さま」だと思っていた、その存在を打つことなったのだ。死んだ、とは書いていないのだと自分を慰めてみるが、黒井健さんの絵には、ますますせつなさを増幅させられる。
 いつまでも深く痛く胸に残される、不朽の物語。
すれ違いと悲しい運命 ★★★★★
「私が小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話しです」と始まります。
両親のいない一人ぼっちのいたずら子ぎつねのごんが、母親を亡くした兵十を見て、
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か。」と、つぶやくところに、
この物語のテ−マを解く一つのカギがあるように思います。

ほんのちょっとしたいたずら心からはじまった出来事。
「一人ぼっち」という同じ境遇にありながら、しかも相手を思いやる気持ちがありながら、
どういうわけか、どこかすれ違いの結果を招いてしまうごんと兵十。
そして、報われない悲しい結末が待っているのです。
これは、動物と人間との間だから起こったのではなく、
人間と人間との間にも起こりうるような気がします。

格調高い日本画のタッチが、悲しさをいっそう引き出しています。
あるところで、「泣きたい日」に読む絵本として紹介されていましたが、
わざわざ悲しいときに読む絵本ではないように思います。
むしろ元気な時に読んで、何か大切なものを感じられればよいのでは・・・。
ごんの望んだこと ★★★★★
 おなじみのお話です。

 この本は絵が幻想的で、兵十の貧しさなどはリアルに伝わってきませんが、美しい絵本で読み聞かせによいのですが、つい涙ぐんでしまったり・・。

 ごんは兵十のおっかあが死ぬ前に食べたがった(とごんは想像する)うなぎを盗んだ「つぐない」をしますが、神様のしわざということにされてしまいます。

 興味深いのは、このときにごんが「こいつはつまらない」と思うことです。

 罪の「つぐない」のためであるなら、別にわかってもらえなくてもかまわないはずなのに、ごんは、本当は兵十と仲直りがしたいのだ、ということがわかります。
 皮肉にも最後に、ごんの気持ちは兵十に伝わるのですが・・・。

 子どもの頃はこの結末が悲しくてたまりませんでした。

 しかし、考えてみると、ほかにどんな結末があるでしょう。
 気持ちが伝わらないままと、伝わっても遅すぎるのと、はたしてどちらがごんにとって幸せだったのか・・・

 考えてみると深いものがあります。

孤独なごんからの精一杯の贈り物−信じること、赦すこと− ★★★★★
 子供の頃から幾度となく読んできた思い出深い1冊。この物語の結末は余りにも悲しい。けれどもそこに幾つかの望みを見出しうるならば、その1つは孤独な狐のごんが兵十に最後に届けた“贈り物”の中身です。
 自分の腕の中で冷たくなっていくごんの亡骸を抱きしめて兵十の嗚咽は続く。その涙は誤解に基づく過ちを悔いる他にもう1つごんが遺してくれた最も大切な贈り物−例え裏切られてもボクは信じ続ける、そうすればいつか解り合える日がくる、それまでボクは待っている−を今度こそは忘れないとの約束を受け止めての言葉でもあると思います。
 そしてもう1つの望み、それはごんが最愛の友達に抱かれて旅立ったということです。もしごんが他の村人によって最期を迎えたらこの物語は恐らくは成り立たなかった。子狐のごんは寂しかった。悪戯モノを装っていたけれど本当は誰かに振り向いて欲しかった。友達が欲しかった。それも自らと同じ定めに生きる友達に解って欲しいとの孤独な叫びの裏返しだった。だからごんは、やはり独りぽっちになってしまった兵十の許へせっせと栗や山の幸を届けたのではないのでしょうか。
 この物語全体を通じて流れている言葉を1つで表すならば“かけがえのないモノ(英訳するならONLY ONE若しくはREMENBERING)”が適切だと思う。その背景には“人間を信じ、赦すことの大切さ”が語られています。今もこの作品が読み継がれている背景には今の私達が暮らすこの時代が“人間など信じるな”との風潮も強く、人間の心だってお金で買うことが出来ると嘘ぶく姿も時に垣間見ることができる考えてみればゾッとする時代でもあり、多くの人は本能的にその危惧と後悔を感じているのかもしれない。
 何よりも黒井健の絵が柔らかな暖かみを醸しだし、作品の言葉に豊かな表情を与えている。同じ作者による『手ぶくろを買いに』、スーザン・バークレイの手になる『わすれられないおくりもの』などと共に、読み聞かせの場で何度でも採り上げたい作品です。
挿絵に一目惚れして購入 ★★★★★
新美南吉のふるさとでもあり、“彼岸花”でも有名になっている『愛知県半田市』に視察に行きました。予備知識のためにバスの車内で観た市の紹介のビデオにこの黒井健氏の絵の『ごんぎつね』の中のワンシーンである“彼岸花”が咲いている風景の中で、兵十の母親の葬儀の列を『ごん』が眺めているシーンの挿絵が映りました。その瞬間、そのなんとも言えない温かい柔らかい絵に釘付けになりました。小学生の頃、教科書で読んだ最後のシーンの『青い煙が、まだ筒口から細く出ていました』という文は、30年近く経って今も記憶に残っているくらいでしたが、この本の挿絵によって、あまりにも切なく悲しく、悔しいやるせない気持ちで涙が止まらなくなります。ちょうど『南吉記念館』で研修があったので早速この黒井健氏の挿絵である『ごんぎつね』と『手ぶくろを買いに』を購入しました。友人にも贈りたい逸本です。