しみじみ、どこか寂しい
★★★★☆
最初は随筆かと思った。丁寧ながらも抑揚のない文体で昭和初期の東京近辺の様子や感慨が書き綴られている。完全な一人称系で進行し、細やかな描写は随筆そのもの。その中で主人公の小説家大江匡のどこか斜に構えたような生き様が生き生きと感じられなかなか面白い。ふとした出会いや女性との関係、現実味あふれる設定と主人公の挙動には著者の文章のうまさに舌を巻かされてしまう。情の通じ合いもほんの微かなものでありながら実に鮮やか。盛り上がりにこそ欠けるが読了後のどこか寂しい印象は気分がいい。後につけられた小さな著者の随筆も消えゆく東京の風景や習慣を惜しむ様子が同感できて非常に良かった。
星を一つマイナスしたのはいかにも随筆らしく冗長な所があり何を言っているのか分からない部分があったため。東京近郊の地名も頻出するのでそのあたりに疎い自分には少し残念だった。そのあたりを熟知している方ならば、現在の東京と昭和の東京を比べて著者の詠嘆と心境がもっと切に感じられると思う。
この小説が発表されたときは風俗や習慣のある大きな転換期であり、そういった背景があったからこそ失われゆく風景への愛着を暗に示したこの小説が圧倒的に支持されたのだろう。一種の寂しさを催させる一冊だと感じた。
“今の東京”に連なる、鮮烈なよすが
★★★★★
関東大震災、東京大空襲、東京五輪、バブル景気……東京という街は幾度となく壊されては建て直され、そのたび毎に街の持つ息づかいや人々の暮らしも断絶を余儀なくされてきた。だから、ほんの70年前に描かれた風景がまるでどこか遠くの外国か、ともすると異世界ででもあるかのような強烈に異質な空気を伴って読者のイマジネーションを刺激する。けれど間違いなくここに描かれている街と今の東京は地続きなのだ。ラジオの流行歌に追い立てられて下駄を鳴らし言問橋を渡る。疑わしげな目つきの巡査。蚊の湧く溝際(どぶぎわ)の窓まどに立つ女たち。風情とか味わい等という俯瞰した視点をかなぐり捨てさせるような圧倒的にリアルな肌触り。ここに描かれた人々に続く時間を、今生きている。その、充溢感。
良かったです
★★★★★
最近“ぼく東”エリアに縁ができて読みました。
永井荷風を読むのは初めてでしたが、情緒にあふれ、ステキな作品だと思いました。
東京の下町好きの方にはぜひ読んでほしいです。
荷風の脚力
★★★★★
本書は玉乃井、現在の東向島周辺の風俗を丹念に記述した作品です。東武線伊勢崎線・東向島から隅田川に沿って浅草まで歩くと、当時の風景が追体験できます。本書を手に隅田川を遊歩してみるととても面白い。かなり疲れますが。
洋行中(あめりか物語、ふらんす物語)は日本を嫌悪していた著者が、江戸芸術論、つゆのあとさき、おかめ笹、すみだがわ、夢の女、下谷叢話、日和下駄と日本の下町趣味に傾いていくさまを見るのはとても興味深い。「腕くらべ」(岩波書店)は絶版で入手は困難なため、復刊を強く望む、ぜひ読みたい。
わたくしにとっても記念的な作品
★★★★★
本書はわたくしがふと古本屋で手にとった荷風の最初の作品である。これにより一瞬にして荷風ファンとなってしまい、全集をそろえて読んだりした。当時は長い作者贅言がついているのが不思議で新鮮だった。