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愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) (講談社選書メチエ)

価格: ¥1,620
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 講談社
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   宗教学者や思想家としてだけではなく、第一級の語り手としても知られる中沢新一先生の講義に出てみよう。「聞き手との間の駆け引き、関心を寄せるための演技」がともなうその講義は、さながらライブ・パフォーマンスのようだ。学生はおろか部外者までもが押しかけるという、そんな人気講座を活字化したのが「カイエ・ソバージュ」のシリーズ。各巻が読みきりなので、興味のありそうな巻から気軽に手に取れるのもうれしい。 

   3冊目にあたる本書ではズバリ「経済」がテーマ。とはいっても文字通りの経済学のことではない。バレンタインデーに備えて女の子がチョコレートを購入するとき、店員は値札を外し包装をし直すことによって商品としての痕跡を消す。贈りものの価値(贈与)は、商品の値段(交換)ではなく、人間関係における意味や感情によって決まるからだ。同様にアメリカ原住民のポトラッチという祭りでは、亡き首長のために、新しい首長が貴重品を海に投げ込む(純粋贈与)慣習がある。そこでは気前のよさが首長の威信を高め、それが部族全体の霊力の活性化をも意味した。太古の世界では、他人に贈りものをすること(贈与)や、神や自然に感謝し捧げものをすること(純粋贈与)が、重要な経済活動だと考えられていた。

   その後、貨幣が発明されて資本主義が生まれていくまでを、著者は北欧における聖杯伝説やクエーカー教徒の集会などの豊富な事例をつかって楽しく読みといていく。が、そこから導きだされてくる答えはシビアなものだ。ヨーロッパから生まれた資本主義という商品経済(交換)ばかりが発達してしまい「交換」「贈与」「純粋贈与」の3つのバランスが崩れ、現代では何から何までが経済の影響下にあるような状態になった。かつてないほど豊かな時代なのに、実感としてあまり幸福でも豊かでもない社会。だからこそ、神話的な知の力を借り、資本主義の彼方に新しい社会形態や経済学を打ち立てるべきだと中沢先生は提案するのだ。(金子 遊)

愛と経済の全体性。 ★★★★★
本書は一見して、かけ離れたものだと思われがちな、「愛」と「経済」を全体性の運動として捉えようとする意欲作である。

全体性としての経済を理解するための指標は「交換」「贈与」「純粋贈与」であるとし、「純粋贈与」は神の領域に属するものであると述べられる。「純粋贈与」と「贈与」が結びつくと増殖が惹き起こされる。
そして、経済は「交換」の原理だけではなく、「純粋贈与」と「贈与」の原理と密接に結びつかなければいけないとする。


21世紀の資本主義社会において、「愛」と「経済」を全体性として捉えるというのは、具体的にどういうことなのかは、わからなかった。

内容は難しいが、簡単に書いてくれているので楽しめた。
愛と経済がこんな形で結びつくとは。 ★★★★★
1,2巻ともあまりの面白さに、あっという間に読み終えてしまいましたが、この第3巻も同様の面白さです。
経済活動を、「交換」「贈与」「純粋贈与」に分類し、それぞれが、「贈与」→「交換」→「純粋贈与」という形に変化してきた、と説明します。このうちの純粋贈与という概念が大変ユニークで、これこそが愛であるという事に気がついた時、人間の思考の深遠さに驚嘆しました。
またこの純粋贈与の行為が、宗教儀式にも盛り込まれており、しかもそれが最初からこれら三者の関係維持を目的にしたものであることを著者は説明しています。このような形での三位一体の関係が壊れてしまっている現在の政治、経済システムの不完全さを思うと、古代の人の方が精神的には優れていたのかと思わざるを得ません。
問いかけてみる ★★★★☆
(1)では神話論、(2)では国家論、(3)では贈与論。志賀直哉から始まって、マルクス、モース、ケネー、親鸞、ラカン、宮沢賢治が登場する。おもしろいキャスティングだと思う。

映画の世界なんかはまさにそうなんだろうけど、「どんな作品になるか」ということは「どんな物語にするのか」ではなくて「誰をキャスティングするのか」ということでほとんど決定する、かもしれない。そういえば、「どんな会社になるか」というのは「どんな事業をするのか」ではなくって、「どんな人と会社を作るか」によって左右される、と『ビジョナリーカンパニー』という本に書いてあった。その通りかもしれない。ヒューレットさんとパッカードさんは、まず信頼できる仲間を集めてから「さて、何をしようか」と考えた。井深さんと盛田さんもそうだった。らしい。

これって、批評についても言えることだと思う。

ということで、内容はよくも悪くも非常に刺激的。ちゃんとこれ、二倍くらいの分量にまとめてほしいな。

個人的に印象に残ったのは、この箇所。「語りかけ」というテーマについては、最近読んだ川崎徹と重なっている。

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私たちのまわりで、何かが私たちに向かって応答するのをやめています。私たちがその何かに対して、「適切な問いかけ」をおこなうのに失敗しているからです。ペルスヴァルとは違って、その何かに問いかけをしなかったから、そうなっているのではありません。人間はうるさいくらいに饒舌に、その相手に話しかけてきました。しかし、話しかけ方、問いかけ方がまずいために、その相手は深い沈黙に入ったまま、応答を送り返してこないのです。
その「何か」のひとつが、「自然」であることは間違いありません。今日では科学が、もっぱらこの自然への問いかけ役の正統的な地位を独占している感があります。(…)
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人間が問いかける対象は、4万年の昔も、今も、変わらない。自然と、人間自身だ。対象が変わらないのに、問いかけ方は随分と変わってきた。現代社会における「問いかけ方」は決して普遍的なものではない。

ということをまず中沢さんは言いたいのだと思う。

「問いかけ方」については、いろいろなオプションがある方がいい。いろいろオプションを持っていたほうが、おりこうさんだ。

愛と経済の結ばれた旧石器時代の豊かな社会を発掘した名著 ★★★★★
愛と経済は人間の欲望を通して、結びつけられている。本書は物質的豊かさを実現した現代資本主義経済と失われた人と人(や自然)との愛の豊かさを回復するために、1万年前の旧石器時代に、人類が獲得していた経済と愛が結びついていた思想を、さまざまなテキストを材料にして、愛のある新しい経済学の構築を試みた冒険的試みの偉大な思想書である。

人の(経済)活動は「交換」「贈与」「純粋贈与」の3つシステムに分類できる。「贈与」(マルセル・モース)は市場経済活動よりも古い歴史があり、宗教的儀式的に相手と交流・威圧する行為として用いられた。この一方的威圧を払拭するために「交換」が行われるようになった。この「贈与」と「交換」の間に“商品”が生まれ、贈与によるヒトの想いは消滅し、市場経済の源泉となる。ここまでは、社会人類学では定説化されている概念である。ここで中沢氏は「純粋贈与」の概念を定義し導入する。「純粋贈与」とは”神”や”人に恵みを与える大地”の象徴である。市場的損得から離れた純粋労働の農耕により。「純粋贈与」から「贈与」へと大地の恵みとしての農作物の“純生産”が行われる。現実の社会では有機農法や里山運動などがこれに相当する。これは人から自然へ、自然から人への愛の伴う無償の行為である。またマルクスが批判する”人格的疎外のない”悦びに満ちた”純粋な労働”によって「純粋贈与」から“資本”が「交換」に与えられる。
このようにして「交換」「贈与」の2つのシステムではヒトの想い(豊かさの実感)の消滅した“商品”による市場経済世界に対し、「純粋贈与」を加えた3つのシステムの相互作用によって、“大地の恵みという人と自然との愛”、“贈与による人と人との愛”が成立する経済の構図が1万年の年月を経て、中沢氏の考察によって現出した。

資本主義の夢 ★★★★★
読み易いということが、必ずしも内容の薄いことを意味しない名著
カイエ・ソバージュ(野放図な思考の散策)シリーズ第三巻。
本巻では「愛」と「経済」、反対方向を向いているとしかみなされない
この二つが、まるで兄弟の関係にあることが語られてゆく。

合理的な経済を支えているのは交換の原理ではあるが

この合理性を、無意識のように背後から支えているのが
不確定性をはらんだ贈与の原理であり、その贈与の極限には
神の領域に属する純粋贈与の原理が現れてくるのだという。

純粋贈与の力が贈与と結びつく時、そこには「たましい=霊力」
の躍動をはらんだ純生産が生まれてくる。
しかし純粋贈与する力が交換の原理と接触するとき

そこには資本の増殖が起こり、それは「たましい」の活動を押し殺す。
だから現代の私たちの生活、資本の増殖は物質的な豊かさをもたらせても
「たましい」の豊かさをもたらすことはできないのだという。

純生産と資本を結び合わせること、それが「資本主義の夢」だ。
その夢を少しだけ実現させてみたのがクリスマスである。

交換と贈与との愛の結合。しかし私たちの経済システムにおいて、
毎日がクリスマスであることは残念ながら不可能である。