ショパンというと、即座に専門家は懐疑的な批評を始めるが、平野は今回、敢えてそのショパンの美しくも悲哀に満ちた芸術家としての生涯を描こうと決意したのだろう。それはジョルジュ・サンド、ドラクロワといったユニークな人物達と絡み合い、藝術が持つ哲学的思索、俗世を逸した美学理念を僕達に教えてくれる。
見事としか言いようが無いのはその歴史的な背景の丹念な構築。
参考文献だけでもゆうに30冊は越えている。
平野は「日蝕」において華々しく文壇にデビューした。
この混沌とした不条理な世界を生きる僕達にとって、
真に必要な「文学」とは、金原ひとみのような
パトスの野獣化ではないだろう。
何故なら、それは今もう既に僕達の現前に押し寄せているからであり、
自己の再発見以外の妙は得られないからだ。
対して、平野はデビュー当時からそれらとは逸脱した空間に身を置いていた。それは村上龍やバタイユ、サド、ジュネなどが描いた「現実の反映」ではない。その一歩先にある、華麗で思索的な人生の生き方なのである。
僕にとって平野啓一郎とは、常に暴力や不条理、エロスといったものを
「クラシカルに」「先導的」に捉える、文字通りのアーティストに他ならない。今後の活躍にも大いに期待しています。