「文筆の荒法師」が描く怒涛の840ページ!朝日新聞 ゼロ年代の50冊第3位
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江戸末期に河内に生まれた城戸熊太郎は子どもの頃からあふれるような思考と口に出す言葉とが合一することのないことに思い悩みながら育った。長じて博打に興じるばかりの生活を送るようになるが、明治26年、妻お縫が男と通じたことをきっかけに、舎弟の弥五郎とともにその男の一族郎党10人を次々と殺害するに至る。「河内十人斬り」に歌われた史実をもとに描く840ページの大長編小説。町田康に付された「文筆の荒法師」という修飾語がまさにふさわしい、俊敏で諧謔味あふれた魔術的な文章が大変魅力的な作品です。
定まった仕事も持たず、放埒な生活におぼれる熊太郎ですが、彼の内に秘めた河内弁による思弁の流れを見ると、彼が私たちとは縁遠い単なるヤクザ者の一人ではなく、明治前期に立ち現れた悩める近代日本の精神であるように思えるのです。ですからこの小説は平成に書かれたものとはいえ、明治文学を読むかのような錯覚を覚えます。
一方で、岩室の中で起こる森の小鬼とその兄・葛木ドールとの一件は熊太郎の精神と行動を生涯にわたって縛る大事件なのですが、人間の理知が届かね奇怪きわまりない描かれ方をしていて、あたかもガルシア=マルケスが描く南米の呪術的小説世界に紛れ込んだかのようで、大いに惑乱させられます。
さて、熊太郎は大量殺人に手を染めるための思考を巡らせますが、実のところこの殺人の理由は理詰めで解きほぐせるような類いのものではないように思えます。熊太郎は事実、「ほんのちょっとの駒の狂い」(514頁)という言葉を使い、また「もっと早くに勝負を降りるべきだった」(838頁)という悔悟の念を抱きます。私はそこにこそ、ひょっとしたら第二、第三の熊太郎になりかねないかもしれない危うさをはらんだあなたや私が生きる上での知恵が秘められているように思えてなりません。
本当の本当の心の中
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町田康著作の「破滅の石だくみ」にこの名作「告白」を書くに至った経緯が書いてあったので引用します。
「執筆の動機はシンプルだった。
不可解で残酷な事件が起こると我々はすぐ。「うかがい知れぬ心の闇」と言って終わりにしてしまうが、その闇をとぼとぼ歩いてみようと思ったのである。
彼らがなぜあんなことをするのか、その理由を知りたかった。…中略。
殺人をするにしろ、しないにしろ、人間はいろんなことを考えて生きている。
しかし、その考えは、本当の考えを考えないために考えによって巧妙に考えられた考えで、その考えがあるから人間は本当の考えがあるから人間は本当の考えを考えないで安全に生きていくことができるのではないか、と思う」
700Pに渡る膨大な量の熊太郎の思考をなぞった後の、熊太郎が心の内を「告白」する最後の一言。冒頭部分の作者のある一言とリンクしていて、さらに深い感動を覚えました。
好きな科学者が、因果律はない。それは人間が勝手に妄想したものだ、と言った事を思いだしました。
傑作。
文学っぽい文学
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朝日新聞の「ゼロ年代の50冊」に含まれていたことで購入。
面白い大作でした。
駄目人間、袋小路、自殺。大量虐殺、実話。
馴染み易い河内弁の演出。
人間の孤独と弱さを浮き彫り、言葉の限界を指摘、主題は明示しない。
ゼロ年代のまさに文学だと思います。
仕事本、実用書、レビュー本、指南本の合間に必要な文芸書。
楽しめました。
河内弁のリズムは大量殺戮にはぴったりだ。
★★★★☆
河内弁のリズムはこの小説の主題である大量殺戮と,主人公の突き抜けた脳天気さにはぴったりだ。
町田康ファンにはたまらないだろう。
しかし、河内人なのにこのリズムについていけない河内人がいたら、かわいそうだなあ。
大阪河内弁
「熊、なにしてんね」
「見てわからんか。笛吹いてんねん」
「笛吹いてんねて,笛みたいなもんあらへんやんけ」
「そら笛はない。笛はないけどや、わいかてやで、いつ何時、笛吹かなならん
ようになるかわかれへんやろ。しゃあからそんときのためにちょう稽古してんね」
「ほんな暇なことしてる間ァあんにゃったらわしと一緒に田ァ行て草取らな
あかんやろ。馬に食わせる草も刈らなあかんやんけ」
山形村山弁
「熊、なにすてんな」
「見でわがらねが。笛吹いてんだべ」
「笛吹いでるて,笛などねえべ」
「んだ笛はね。笛はねっげど、おらだでな、えづ、笛吹がねぐならんねがもしゃねべな。
んだがら,ほだなどぎの為さ稽古すてんだべ」
「ほだな暇なごとすてる時間あんだったらおらと一緒に田さ行(え)って草取ら
ねばだめだべつ。馬さ食(か)せる草も刈らねばだめだべつ」
河内弁と比べて、山形村山弁のなんともっちゃりしたことか。
ちなみにWordでは,河内弁14箇所、山形村山弁16箇所が表記の間違いだと
(標準語表記だとすると)指摘されました。
これまで文章化できなかった思考世界
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町田作品にはいつもあきれる。そこに描かれる人物のなんたるだらしなさ。それこそパンクなのだろう。私自身は非常にお堅い。クラシックファンだし。
初めてエッセイ「正直じゃいけん」を読んだ時には、読んでいてその許せない生き方にのたうち回った。が、我慢して半分を過ぎた頃から、そのパンク世界に<すぱぱ〜ん>と嵌り、そういう人生もあるのだなぁ…と自分自身の世界転換が起きた。すっかり町田康ファンに。自分にはできない生き方、考え方をバーチャル体験させてくれる貴重な作家だ。
そして今回この「告白」を読んだ。実は今月映画化される別の「告白」と間違えた。しかし、こっちの告白こそが素晴らしい傑作だった。いつも通りあきれる主人公、いやほとんどの登場人物たち。今回は実際の事件「河内十人切り」を元に深く心象風景をパンクに切り込んで大書に仕上げた作品。描かれる風景、言葉遣いの考証は綿密で素晴らしい。その中に突如、パンクな感情表現やファンタジーな情景が放り込まれる。まことに町田康にしか作れない世界に、世の人々に理解できない内省的堕落者の頭の中を徹底的に追いかけた作品が誕生した。
レビュータイトルにした<これまでに文章化できなかった思考世界>という意味は、こういうタイプの人の思考は表現できないということ。情動や現象で表現した作品はあるが、だらしない思考そのものを深く、的確に書いたのは初めてだと思うし、追随できないのではないか…あっちの「告白」とは違って、こっちの「告白」は映画化はできないだろう。思考を読み、そして思いに耽らせるこの作品に出合えたことを喜びたい。町田さん、大いにあきれました。