「―― 大きい俺や小さい俺、青空に円形に展開、みな、くわっとした格好で中空に軽くわなないている ――」。親のすねをかじりながら無為の日々を送っていた「俺」はかつて、ともに芸術家を志し、その才能を軽視していた友人が画家として成功したことを知る。しかも、美貌と評判高い彼の妻は、「俺」が見合いをして断った女だという。よじれて歪んだ心が生むイメージが暴走した果てに「俺」が見たものは…。
著者は、パンク歌手であり詩人であり俳優であるという異色作家。『夫婦茶碗』 『へらへらぼっちゃん』など、独特のビート感あふれる作品を意欲的に発表し、個性派作家として注目を浴びている。若い世代を中心に「ストリート系」、「J文学」などともてはやされる一方で、ナンセンスなストーリー展開やメッセージ性の希薄さなどから「キワモノ」であるという冷ややかな評価も受けていた。ところが、一見、一貫性を欠いているようにも思われる言葉の連射の間隙に、透明感を与えることに成功した本作で芥川賞を受賞したことで評価は一変し、純文学の新たな地平を開く作家としての栄誉を得た。好悪の分かれる作家ではあるが、繰り出される言葉のリズムに身をまかせて一種のカタルシスを得ることができるか、違和感を抱くか、それは作品に触れて確かめてほしい。(梅村千恵)
ラストの青空が美しくも虚しくもあり…ブルース?
★★★☆☆
まだ『くっすん大黒』と『きれぎれ』しか読んでないのですが、
両方とも『ダメ男の話』なんで、少し比べてしまいました。
『くっすん大黒』は、リズム感のある文章で、
最初のページで『この話、面白そうだ!』〜と思わせるのに、
『きれぎれ』は反対で、序盤が読んでいて辛いと思いました。
作品としては、持ち味が違うので両方好きですが、
『きれぎれ』に関しては「この漢字なんて読むの?(調べる→)」
その後「…こんなのカタカナでいいじゃん(例:護謨/ゴム)」
といった個所がちょくちょくあり、リズム感の邪魔でした。
読み終わった後味は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」に
近い感じ。不快感たっぷりだけど、終盤に美しい場面もあって…。
主人公のダメ男は、結局最後までダメ男のまんま、もうグダグダ。
ラストの『振り返ると、青空。きれぎれになっていて腐敗していて。』
の場面で、「腐ってんのは、空じゃなくてあんただよ!」と思いましたが、
この青空で最後に「読み手」が救われた気がします。すっきりして。
主人公は、何も救われません。青空に見るのは、虚しさか…。
はたまた、女房が飛び降りる幻影なのか…。
『日本語を壊して組み直す』という点ではパンクですが、
『ダメ男の生き恥〜それでも生きる』というストーリー性では、
「ブルースかな?」と。
困惑されたい時期・・・
★★★☆☆
クラクラしますね、町蔵さんの世界には・・・
ここんとこ、普通のものばかり読んでいたので、理解にかなり苦しみました。
んーーークラクラしています。
あぁ 町蔵さんなんだな・・・と・・。
いいえ。べつに「いぬ」には さほど 拘りはないのですよ
俺が学生で 彼らがバンドをやってた頃なんかには。
ぶっちゃけ バブルの時期に 何?パンク?という思い、しかなかった。
その中で、まともなことを言ってたように感じたうちの、ひとつではあるけど・・・
あいかわらず、あがいて、いがんで、ぐぎっている町蔵さんが、あーここにいるんだ と 思った。
文学でもパンクでもない、隔絶したもの
★★★★☆
80年代前半の日本インディ・シーンの特徴として、なぜか文学・演劇的要素の強いバンドが人気だったことが挙げられる。(多分、唯一の例外は詩作を全く放棄していた山塚アイ=ボアダムスだが、結局美術系に流れていった彼らだけが今でも現役バリバリなのは興味深い。)
彼ら自身が「パンク」と自己定義にしていた割に、余りにもやってる音楽が所謂パンク・ロックから遠かったことは今振り返っても興味深い。町田町蔵が主戦場を言語表現に移した際に、小説ではなく詩集から入ったというのも、偶然ではないのだ。(個人的には、どんなに思い入れがあっても、今の時代に「パンク歌手」の看板は誤解の元なので、下ろした方が良いと思う。)
彼は詩も音も完全に自己流で爆裂した表現者だったが、大物インディ・アーティストの中でもかなりキレた言語センスを誇っていた。そんな彼が書く「小説のようなもの」が文壇でやたら賞を取るのは、単に文壇が「文学」から隔絶したこういう変な日本語表現にウブだからである。(だから、彼の小説は今後も日本でしか評価されないだろう。)
そもそも「文学」的ではないという点でのみ町田は評価されるべき書き手なのだと思うが、最近は本人もその辺の事情が分かんなくなってきたのか、教育テレビで中原中也について語ったりしている。でも、そういうせせこましい仕事こそ「文学者」がやれば良いのだ。
町田町蔵/康の才能に文壇が尻馬に乗って独占している状況は、色んな意味で寒い。彼は、文学者でもパンク歌手でもない「異才」でしかありえないし、そんな「表現者(アーティスト)」であることを早く本人に思い出してほしいと思う。
パンク小説
★★★☆☆
おー。なんだ、なんだ、なんだ、だんな、これは!
怪誕不経、超塵出俗、憾天動地、瞠目結舌、
言語道断、支離滅裂、奇奇怪怪の怪物くん。
乱離骨灰、羅利骨灰、乱離粉灰、らりこっぱい懲りずに4回。
私は僕は俺は、頭割られて、脳みそに割り箸突っ込まれて、
ぐしゃぐしゃに掻き回され悶絶昏倒、主人公の気分。一言もねぇ。
日常からちょっと飛躍しているものが好き。って康ちゃん。
ちょっと”ちょっと”ちょっと”100万倍飛躍してまっせ。末世。
胡蝶の夢で飛び交う言葉の麻薬に覚醒されて、
意識は観念してまんねん。
発想と衝撃だけで、何かをやってみようという人が
始めた音楽がパンクと再び康ちゃん。
まるで、「きれぎれ」「人生の聖」はパンクロックのリズムに乗って、
「脳内シャッフル革命」を実践して書かれた歌詞でんがな。
と私は僕は俺は思う。たぶん。
「パンク小説」「小説パンク」。音楽と小説のコラボレーション。
新しいものはボーダレスで生まれる。(70点)
これはロックビデオだ!
★★★★★
著者は元パンクロッカーだったそうですが、これはまるでロックビデオみたいですよ。これをトーリーとして読むと訳が判らなくなると思いますが、シュールなイメージ(映像)の展開として読むと実に面白いです。
これはまさにアートですよ。
今までにない、新鮮な体験でした。