病の床で
★★★★★
本当に病の床で書いたものであることを
Jブンガクで知りました。
自分では,そんな状況でよう文章が書けないような気がしました。
末期がん患者に希望を与える書
★★★★★
子規は肺結核(当時は不治の病で治療法なし)、脊椎カリエス(骨結核)にかかり、両下肢が麻痺し、病床に伏して、痛みと死の恐怖と戦っていた。自分の命が短いとわかっていながらも、亡くなる3日前まで執筆を続けていた。病牀六尺は、自分のあふれる知的好奇心で描かれ、死の恐怖に恐れながらもそれを感じさせない名文である。
個人的には現在の、不治の病(肺がんなど)を煩っている方々が読めば、子規の生き方に勇気をもらえるでしょう。
病人に読んでほしい
★★★★☆
この本に出会ったのは、闘病生活8年後であった。。かつて、寝たきりの時があったので
病名は異なるとはいえ、子規の苦しみは身をもって想像できる。
私は最近になってようやくこのレヴューを書く気になった。
病気とはいえ、解説にあるように、子規の好奇心には驚かされるものがある。
ただ、この随筆が書かれた時代は、時代がめまぐるしい勢いで変っていくときで、
希望があった時代だと思う。2010年の今の日本でこのような時代に、この本を
読んでみるのも日本の栄枯盛衰を見るようで、興味深い。子規がこの世を去って
100年後の私の病床のまわりには、CDプレイヤーとCDと文庫本が置かれていた。
病気の人もこの本を読んで、子規の生に対する貪欲さを感じてほしい。
美しい文章とちょっとの自己中がいい味出してる
★★★☆☆
「病床六尺、これがわが世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。わずかに手を延ばしてたたみに触れることはあるが、布団の外へまで足を延ばして体をくつろぐこともできない。 」
と、まず書き出しが美しいんです。私は岩波文庫系の教養ある人がよむんだろうなぁ、という本はあまり読みませんが、『坂の上の雲』(司馬遼太郎)の真之と子規の友情の場面がとっても好きで、子規を知りたくなって読んでみました。
亡くなる二日前まで新聞に連載されていただけあって、ひたすら具合が悪そうです。そして病人だからちょっと自己中。
女性の教育について真面目に語り始めた回は、家の女性たちが家事に忙しくて子規さんにかまってあげていなかったことを不愉快に思って「学がないからだ」と怒り、女性の高等教育の必要性について書いておられます。論理的というより感情的、なんだけど生活が見えてきて面白いです。鋭い!という回もあれば、思い込み激しいなぁ〜と笑ってしまう回もあり、一気に読むというよりは通勤電車で毎日ちょっとずつ味わって欲しい本です。
とはいいながら、やっぱり文章が上手いし、死の間際だけあって悟っています。
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りという事を誤解して居た。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。 」
六尺の審美眼
★★★★★
この随筆集を読むと、正岡子規という巨人に
ますます興味を持つことになるでしょう。
話題は多岐にわたるものの、
彼が貫く価値観や物事を見る目がいかに鋭いか
がわかります。
絵画、芸術、俳句、詩を見る目は、非常に一貫しており、
そこに一点の妥協も許しません。
どこから見たのか、どういった動作なのか、どういったものなのか。。。。
をあいまいにすることなく、厳しく追及して見抜いてゆく目、
いわゆる写生。
それゆえに、没して100年以上たつ今でも、彼が愛される
ゆえんかもしれません。
読み継がれるべき本の一冊だと思います。
子規に感謝。
よかったです
★★★★★
岩波文庫の本は本屋でもあまり置いてないのでたすかりました。