推理小説そして歴史物としても楽しめる希有な書物
★★★★★
実は松本清張の本を読んだのはこれが初めてだった。通俗的なミステリー作家だと思っていたのだが、いい意味で裏切られた感がある。本書は占領時代の日本で発生した幾多の怪事件を取り上げ、その真相について推理を行っている。ミステリー作家ならではの手堅い名推理に満ちており、この作家の思考力と知識量に驚かされた。当時のGHQ内のG2とGSの対立や、形成されつつある冷戦という安全保障環境、日本で活動する米国の情報機関、GHQによって利用された戦前の日本の遺産というものを完全に理解した上で本書は書かれている。筆者の取材力は見事の一言に尽きる。
私は占領時代の日本についてほとんど知識を持ち合わせていなかったので、本書から多くを学ぶことができた。GHQがどのような存在だったのか、米国によって占領されているということがどのようなものなのかを示すエピソードが本書には満載である。本書は実際に発生した事件を基にした推理小説としても楽しめるほか、歴史物としても楽しめる希有な書物だと思う。
下山事件を知らなかった人はぜひ
★★★★★
若い人はまず砂の器の原作者として注目し、他の本を読んでみようかと、
これに行き着いた人も多いのではないか。
この本にはまず大きく下山事件が書かれている。今でもたびたび
メディアにこの事件名が出て来るので、どういう事件か知らなかった
若い人が読むといい。(下巻の帝銀事件、松川事件も)
しかし、松本清張は推理作家であるから、資料に基づいて
推理を駆使しているはずで、ノンフィクションとはいえ、
100%の真実論文というわけではないはず。
例えば下山事件なら、この本で事件を学んだ後、他著者の本を読んだり、
松本説に批判・別説の本もさらに読んだら、もっとよいでしょう。
日本の黒い霧が未だに読まれているのはいかがなものか
★☆☆☆☆
この本に感心された方は、佐藤一さんが書いた「松本清張の陰謀」も読んでほしい。佐藤さんの本は、「日本の黒い霧」が結果的に日本共産党の武装闘争を隠蔽する役割を果たした、と書いている。こういう見方もあるのかと思った。萩原遼は、「正論」2006年6月号で「北朝鮮にはめられた松本清張」という論考で「北の詩人」を批判している。有名作家だからと言って素直に書いていることを信じちゃいけない。
この本の歴史的価値は、高いと思うが、そこで占領時代の日本研究がストップしているのは問題だろう。
孤高のノンフィクション
★★★★★
上巻のハイライトは何といっても「下山事件」ですが、この推理は下巻の「帝銀事件」「松川事件」と並んで有名ですね。朝日記者・矢田喜美雄氏の「謀殺 下山事件」とともに今では通説とされているようです。
GHQ内の対立構造や共産勢力への対抗策といった諜報の構図を推測したうえで、事件当日の下山氏の足取りと現場に残った手がかりを検分していきますが、事件の背景と現場を照らし合わせていくこの構成は、自分のような当時を知らない者にとっては輪郭が掴みやすく、検分で次々と明らかになる事実に固唾を呑んでしまいます。推察についても、この事実はこう読み取ることが出来るのではないだろうか― という清張氏の考えは決して一方に傾倒するような論調ではなく、丹念な取材の裏付けから論理的に答えを導き出しているので、推理のプロセスにも大いに納得させられました。
上下巻を通読すれば統治下から経済発展を迎えるまでの日本国家がどのように時代の波に呑まれていったかが解ります。権力や情勢という巨大で複雑な渦の中に石を投じた清張氏の姿勢にも感銘を受けますが、何より時代の犠牲となった人々を忘れないためにも本書を是非手に取って欲しいと思います。
日本に暗躍した二つの「黒い霧」
★★★★☆
本書の初出は文芸春秋1960年の連載です。時は東京オリンピックを控え高度成長
の助走をしていた時期です。私たちは今の日本の姿が起こるべくして起こった事実
の積み重ねの結果としてあると思いがちです。しかし本書を読むと当時の日本は米ソ冷戦下、
アメリカとソ連という二つの黒い霧が暗闘する混沌とした時代であったことが窺われます。
展開次第ではどちらに転ぶか分からない不安定な情勢を著者は鋭く感じ取り、
バランスよく題材を取り上げています。
前半の『下山国鉄総裁忙殺論』『「もく星」号遭難事件』『二大疑獄事件』は
アメリカ占領下の日本の暗部を描き、後半の『白鳥事件』『ラストヴォロフ事件』
『革命を売る男・伊藤律』は日本に暗躍する共産スパイと日本の共産主義者の活動
を取り上げているのは、自分はイデオロギーで物を書いているわけではないという
彼の無言の主張なのでしょう。
冷戦が終わり多極化が進む現在、本書を読むと「今は昔」感は確かに禁じ得ま
せんが、日本が二つの黒い霧を彷徨ったプロセスを知ることは「現在」を知り、
「未来」を展望するためには欠かすことのできない作業なのではないでしょうか。