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饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))

価格: ¥452
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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ソークラテースの「未完」の愛について ★★★★★
 新潮・森訳の感想だが、日本語が平易でこなれていて、特に登場人物達の会話の間が非常に読みやすかったと思う。一方で、岩波版のレビューで挙げられていた岩波版冒頭の誤訳疑惑(=最初の頁の「坂を上っていく」云々)の箇所は、新潮版も岩波版と似たような訳になっている(笑)。といったような、細部を専門的に評価する必要のない素人読者としては、以下の点が面白かった。

-1.
 「愛について」という邦訳副題にあるように、本書はソークラテースの他、彼の愛人アガトーン(悲劇詩人)、ソークラテースの批判者であるアリストパネース(喜劇詩人)、など6人の論者が「愛とは何か」を議論した酒飲み話として書かれている。ここでソークラテースは他の5人と違って、愛を無条件に至上のものとは受け入れなかった。人は欠乏・不完全さを抱えるが故に、「愛とは、善きものが、永久にわが身のものになることを、目的としている」(89p)、「愛の対象とは不死でもある」(91p)と整理しているのだが、具体的な行動としては、一人の少年や人間、あるいは一つの営みに執着せず、無限の美と知識愛を観照することを賞賛する(99p)。そういう意味では、彼にとっての「愛」とは永遠を志向する以上は未完で終わらざるを得ないプロジェクトなのであり、それ故に愛の対象を至上の善とするなら、知を愛し求める人は「知者と無知者の中間」(84p)に留まらざるを得ない。このようなある種諦観的なビジョンはそのまんま近代哲学の認識論の本流にまで繋がっていくものだが、これが実際の恋愛行動に落ちると、彼の場合は本書でも何箇所かで触れられているが、情熱的に美少年達を追い回すということになる(笑)。確かに理屈の上では一貫性があるものの、言ってることの高尚さとのギャップが笑えた。

-2.
 本書最後の登場人物はアルキビアーデスという人だが、この人は権力を追われた軍人政治家であり、彼が弟子だったことがソークラテースの死刑の遠因になったとされている。プラトーンは本書の中で、二人の関係がアルキビアーデスの横恋慕であるとしており、師の死が不当だったことを告発しているが、同時にこの片思いが、この会話劇の中で酩酊状態の彼が語る師への愛(=不完全な弟子が完全な師に恋焦がれる愛)とソークラテースの語る永遠への未完の愛とのギャップ、彼らの間の座る位置をめぐるやりとりに重ねられている。この何重にも意図が重ねられた最後のオチの構成力は、さすがプラトンである。他の論者達の語る愛の語り口も、詩人やソフィストの話振りがパロディ的に真似られており、本書を哲学書であると同時に文学書として楽しめたという感想が多いのも頷ける。

-3.
本書解説を見れば分かるように、古い作品だけあって解釈が如何ようにもできる不透明な箇所が少なくない。西洋哲学がテキスト論や文献学・解釈的方法論を延々と問題にしてきた理由の一つに、源流である古代ギリシャ哲学を読むことが既にそういうテクスト論を強いてくる点にあるのかもしれない。

 ソークラテース自身は重層歩兵として従軍経験もある人だが、かなりマッチョでエネルギッシュな生を楽しんだらしいことが本書のエピソードからは感じられる。が、一方で生きた話し言葉を書きおとすことを拒んだために、後世の我々は彼が実際に何を考えていたのかは弟子達等の文献から間接的にしか分からない。でも、これも「永遠」の前で「未完」にあることをポジティブに受け止めた彼らしいエピソードだと思う。
「プラトニック・ラヴ」の意義再考 ★★★★★
ソクラテス(プラトン)の説く愛について要約すると、「愛とは善きものを求め、尚且つその善きものが永遠に自分のものになることを目的とする」ということになる。

愛が善きものを求めるというのは、エロース(愛の神)が愛される対象の方ではなく、むしろ愛する者であるとして考えることを要求する。誰かに愛されるのはやぶさかでない。それは善きものとして認められることに喜びを覚えるからである。他方、誰かを愛するのは切なさを伴う。それは自己所有していない善きものを希求するからである。だが、愛の神はこの「愛する」方にのみ属しているのであり、だからこそ愛する者に愛は存在するものの、ただ愛されるだけの者に愛は存在しないのである。

善きものが永遠に自分のものになるには、古いものから新しいものが生み出され、それからまたさらに新しいものへと継承されていくことで実現される。このことは、子孫を残すといった肉体面に限らず、偉大な思想や徳といった知慮の徳を残すといった精神面にまで広げられるのであるが、「プラトニック・ラヴ」という言葉があるように、そういった精神的愛こそソクラテス(プラトン)の目指す究極の愛なのである。けれども、だからといって肉体的愛が決して否定されていないことに注意したい。ソクラテス(プラトン)は精神的愛へ発展するための入り口として肉体的愛の必要性を謳っていて、まず肉体を愛し、そこから出発して階段を上がるように精神的愛へと上昇していき、そして辿り着く先にこそ究極の美、つまりイデアがあると説いているのだ。

いつのまにか「プラトニック・ラヴ」という言葉が、肉体と切り離された、純粋な精神的愛としてステレオタイプ化されているが、実際には肉体と連続する精神的な愛を指しているのである。
岩波文庫版との比較 ★★★★★
 現在プラトーン(プラトン)の『饗宴』は岩波文庫の久保訳と新潮文庫の森訳が入手しやすい。実際に書店で見比べてみるのが一番だと思うが多少相違点について述べようと思う。
 人名について岩波版ではプラトン(プラトーン)、ソクラテス(ソークラテース)のように長音を省略している。また慣例となっているステパヌス版のページ数がついていない。
 教養として読むなら岩波版でもよいかもしれないが研究者の方は新潮文庫版を参照したほうがよいだろう。また『ソクラテスの弁明』も同文庫から出ているので併せて読むといいだろう。