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国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

価格: ¥3,633
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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リアリステッィクなところがある ★★★★★
この「国家」でプラトンは統治の観点からいかなる宗教が望ましいかを議論し、その観点から
従来語り伝えられてきた神話を批判している。
私曳地康の解釈においてプラトンには信仰の大切さを説いた言説も少なくはないが、「国家」を読む限りにおいては
宗教を政治の道具としてプラグマテッィクに扱っており、実のところ本心では無神論者なのでは
ないかと疑わしくも思われる。
プラトンの場合、理想政治を実現するためにどうやって権力を獲得するかということを度外視している点で
非現実的であるが、僭主政治、民主政治への批判に関してはきわめてドライで
リアリステッィクなところがある。


哲人ソクラテスの真髄! プラトン兄弟の敗走劇 ★★★★☆
ソクラテスの口を通して語られるプラトンの思想が、余すところなく開陳されている全篇が対話形式の書物です。

一見、題名の「国家」からして、国とは何か、政治や国家組織がどのように運営されるべきかといったことばかりのようですが、医者はどうあるべきかとか、船乗りはどうあるべきか、など私たち個人個人の生き方について、問われているような身近な実例の内容ばかりです。

ソクラテスの「さあー、それでは次に・・・」という話を展開させる時に使う常套句が、マイクを持った哲学実況解説のような臨場感を味わえました。

登場人物たちの個性もいろいろとあります。だいたい最後にはソクラテスが勝ちますが、次から次へと別の相手がソクラテスに挑む構成で、ソクラテスファンには安心の一冊。

ちなみに、プラトンの兄弟が結構登場しているとのことです。

哲学書の訳文としては、非常に読みやすい流れの文章です。

下巻は最後の方はやや難しいですが、巻末の図解付き注釈もあり助けになるので、上下巻ともに購入することをお薦めします。
人類の思索の歴史を学ぶには良いと思う ★★★★☆
人類の思索の歴史を学ぶには良いと思う(7〜8巻の洞窟の例などで、表面的認識と実相・本質の認識を分解する考え方)。高みに上った哲人に、再度、大衆の中に下って政治を行うようよう主張するところは共感できる。また、複雑化した現代政治を単純化して見る視点を提供してくれる面もある(民主制の必然的堕落など)。ただ、10巻のエルの物語、即ち、戦死した際の臨死体験で天国と地獄を見、不正を働く者、僭主には煉獄の苦しみが与えられる様子を見たとという物語を持ち出すところなど、今日から見ると余りにも子供騙しで、古さを感じざるを得ない。
理想国家とは何か ★★★★★
プラトン哲学の最高峰である『国家』。洞窟のイデアや哲人政治は、あまりに有名で、その後の学問界全体への貢献は計り知れない。国家とは何か、どうあるべきかという議論の端緒となる本であり、古典中の古典。はるか2000年以上を経た現代においても通じるところが多々ある。必読。

本書の内容を一言で述べるならば、正義についての考察である。その正義とは何かを考察するために、国家の正義を考えることで、その解答を見出そうとしている。


下巻では、上巻で定義された正義を実現するための理想国家として、哲人政治のモデルが書かれている。また、洞窟や太陽などの比喩によって、イデア(実相=「まさにそれぞれであるところのもの」(p.79))というプラトン哲学の中心的課題が扱われている。さらに、理想国家と対峙して不完全な国家のモデルもここで扱われている。名誉支配制、寡頭制、民主制、僭主独裁制の4モデルが、そこに当てはまる。

民主制とは自由を重んじる国家であり、「快く、無政府的で、多彩な国制であり、等しい者にも等しくない者にも同じように一種の平等を与える国制」(p.p.206-207)である。だが、プラトンがここで警告を発したように、そのおおらかさゆえに、「ただ大衆に行為をもっていると言いさえすれば、それだけで尊敬されるお国柄なのだ」(p.206)という衆愚政治に陥ってしまうのである。

現在では、フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』で語られたように、民主制は最高のものとして扱われているが、ここでは悪しき国家の例として挙がっていることは興味深い。もちろん現在の民主主義国家と当時のアテネをモデルとした民主制を同一に論じることはできない。しかし、プラトンが危惧したことは、現在の世界の政治状況(イメージ戦略に莫大な資金が投与される米大統領選や、近年の田中眞紀子フィーバーなど)を見ていても、決して解決されていない課題だろう。

下巻の巻末には60ページに渡る解説がついている。執筆の時期や背景の説明が中心的だが、内容をおおまかに理解するためにも、初めに読んでおくと良いかもしれない。
正義論と国家論の原点 ★★★★☆
立花隆氏がある本の中で、“日本人は19世紀のヨーロッパ人が書いた小説まで古典と呼んでいるが、果たして本当にそうだろうか。 ある書物が本当に古典的価値を持つかどうかは、五百年、千年のふるいにかけてみなければ分からないのではないだろうか”と語っていましたが、そういう観点から見れば、プラトンの対話篇というのやはり“古典”だろうと思います。 なにしろ“不正を行っている者の方が、そうでない者よりもより良い人生を送っているように見えるのですが−”というトラシュマコスと同じ問いを己自身に問うたことのない人間がこの世にいるでしょうか? “政治”と“正義”がテーマのこの対話篇、彼の他のどの著作にもまして我々を惹きつけます。

“国家”下巻はまさにプラトン哲学のハイライトといった感があります。 洞窟の比喩、あらゆる政治形態の分析、そして善とは、哲学者とは−。 また、民主制の抱える問題点についてのくだりなど、まさに現代日本が直面している状況そのもので空恐ろしくさえなってきます。 民主主義社会においても我々は“自由”に甘え、溺れてしまっては決してならないという気にさせられます。 さもなくば“最高度の自由からは最も野蛮な最高度の隷属が生まれて”くるそうです。

プラトンの著作には確かにワクワクするような面白さがあります。 やはりそこにはあらゆる西洋哲学の基本問題が網羅されていると思います。 個人的には、多くの人々を対象とする政治や社会体制の問題は、それを実行に移すとなぜかうまくいかないと言う点において哲学の限界点も示していると思います。 しかし、体制や法律を作るには確かに理念というものが必要なわけで、結局害悪になるかもしれないけど見過ごすわけにはいかないもの−その原点がプラトン哲学だと思うのです。