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車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

価格: ¥600
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光文社
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新訳でも楽に読める内容ではない ★★★☆☆
ドイツ出身の作家,ヘルマン・ヘッセの代表作の一つと言える中編小説。
ベルンハルト・シュリンク著『朗読者』を訳した松永美穂による翻訳。

おそらく従来の訳文よりも多少は親しみやすくなっていると思うが、それでも想像力が豊富でない限り、すらすら読める作品ではない。
序盤は辛抱が必要で、主人公が神学校に入学した辺りでようやく物語に迎え入れられるという感じ。

作者が自身の経験を基に、洞察を交えて青年期の不安定な心理を浮き彫りにしており、読者は瑞々しくも悲痛な感情を喚起させられる。
青少年の教育に携わっている人や、青少年の心理への理解を深めたい人にとっては参考になる部分もあるのではないかと思う。

あまり一般的ではないドイツ語の名詞の注釈がもう少し多いと良かった。
ハンス・ギーベンラートへのパッサカリア ★★★★☆
ハンス少年は家族と地域社会からの期待を負いエリート・コースを歩みます。
当初は他の子供たちとの差異をこの期待に見出していました。
しかし、次第に神学校やある女性とのやりとりの中で
芽吹きつつある自分の本心が周囲の期待と合致しなくなり、
ハンス少年はよろめき斃れます。
“夢”を見させる余裕を与えず、“健全な大人になるためのマニュアル”に
従わされた少年の悲劇です。
ハンス少年の短い生は、ヴェーベルン「管弦楽のためのパッサカリア」の
枠を突き破ろうとするも果たせない音とどこか似ていると思いました。
相田かずき君は浪六の大ファン ★★★☆☆
ヘッセの研究家にとっては重要な作品かもしれないが一般の読者には勧められない。特に3章からは叙述が抽象的で空虚なものになっている。それを補うつもりか建物や自然の描写が挿入されているが、登場人物の心情と無関係(後の章ではメタファーになっている箇所もわずかにみられる)である為、独りよがりな写実文に終わっている。さらに力点の位置が(日本人の感覚からすると)おかしな所にあり、物語の途中が退屈で、終わりがあっけない。つまり全体のまとまりが非常に悪い。同じ青春文学でも、たとえば高樹のぶ子の『光抱く友よ』は完成度がずっと高く思える。

自然の描写がすばらしいという。だが日本人は昔から自然への観入ということをごく普通に行っており、国語の授業でも夏目漱石や長塚節らの立派な写生文を読んでいる。故に、この程度の描写では正直物足りないのであるが、巷に溢れる作品よりは数段よい。

訳者解説にある「教育制度に対する批判」は文学の主題としては弱すぎるし、その様な切り口による評価は無理がある。実際、教育のあり方に触れている箇所の訳文は周囲と調和しておらず、むしろ奇妙でちぐはぐな印象を受ける。日本で多く読まれている理由は、この物語が遠い国での話で距離を持って接することができ、身近にある現実的な問題から目をそらすことができる為であって、作品の出来とは関係がなかろう。

本の仕上がりは中の下。「ガラス糸」=>「グラスファイバー」「栓が盤にはめ込まれ」=>「材料が固定され」その他「ハンスはレバーの先に女の肉体を感じて戸惑った」のではないのか。
まずタイトルがすばらしい。 ★★★★★
主人公ハンスの声を少年の言葉として取り返してくれた訳者の努力にまず感謝したい。
訳文は平易でみずみずしく、ヘッセの美しい自然描写の文章を格調高く訳しきっている。
私はヘッセと直接の交流もあった高橋氏の訳を翻訳文学の最高峰だと考えており、今もその思いにいささかの揺るぎもない。
しかし、今日、多くの人にもう一度ヘッセの作品に親しんでもらおうと考えると今回の翻訳は画期的なものであったと思う。
ヘッセの作品にはみずみずしい自然描写と青春へのやや感傷的とも感じさせる思い入れが表出されており、多くの日本人の作家に影響を与えてきた。漫画家でも、永島慎二、坂口尚等、ヘッセの作品なしではその作風が存在しなかった作家が容易に見つかる。
私にとってもヘッセは最高の作家だ。少し内向的で、夢見がちな主人公ハンスは他の作品と同じで、ヘッセの分身だが、ヘッセの作品の主人公ほど共感を持てる主人公を私は他に知らない。主人公ハンスが体験し、感じる、喜びや戸惑いは、思春期を過ごした多くの人が共感できるものであろう。主人公の心のうちに沸き起こる微細な変化をヘッセは丁寧に表現しており、今、思春期を生きるヒトには強い共感を感じさせ、やや年をとった人にはこのように繊細に心が反応していた時の事を懐かしく思い出させられるだろう。
また、詩人ヘッセならではの、丁寧で美しい自然描写には、何度、彼の作品の読んでも心が打ち震えてくるのである。ヘッセ以外の作品で味わう事のできない感動だと思う。
ヘッセの作品では、人が本来の自分自身らしく生きようとすることの難しさと、その勇気を持つものの姿を描いているものが多数あるが、ヘッセが20代で書いた、車輪の下での主人公は自分自身らしく生きられずに破滅にいたってしまう。
後年の作品のデーミアンやゲルトルートでは主人公は破滅せずに自分の道を歩んでいき、ヘッセそのものの人生にoverlapする。
自分らしく生きたいと切望する若い人にこそ、是非、ヘッセの作品を読んでもらいたい。

最後に、松永氏の翻訳で是非デーミアンを読みたいと切望しております。
こんなに若々しく瑞々しい“青春小説”だったとは… ★★★★☆
 教科書などには大体、「優等生の少年が、周囲の過剰な期待や無理解のため、破滅する話」…とか書いてある訳で、こう書かれると「暗い、重い、難しい、読みたくない」と多くの人が思うはず。私自身がまさにそうで、今まで“読まず嫌い”で来てしまった。
 今回、初めて読んでみて驚いた!ストーリーを要約すれば、確かに“その通り”の内容なのだが、しかし…この作品が、実に活き活きとして瑞々しく、そして激しい思いに満ちた、若々しい“青春小説”であることに!
 (作者の故郷でもある)シュヴァルツヴァルト(黒い森)地方の自然や、その中での人びとの営みの描写の美しさ…(特に川遊びや釣りの描写は秀逸!)。どこか同性愛的なものも感じさせる思春期の友情や、初恋の描写の繊細さ、甘美さ…。そして、大人たち、特に教師や聖職者、学校へ向けられる、辛辣で、“憎悪”とさえ呼びたくなるような強い批判…。
 後書きで知ったのだが、この作品は作者が25歳時に、自らの少年時代の経験を強く反映させる形で書いたという。作品には確かに、それに相応しい“若さ”“激しさ”そして“生々しさ”が表れている。それを、余す所なく訳出した、訳者も見事!