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ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,890
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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道徳の根源的問題 ★★★★★
あまりにも有名なニーチェの道徳批判。
「ツァラトゥストラはかく語りき」の注釈書として書かれたのが「善悪の彼岸」、さらに「善悪の彼岸」の補遺および解説として書かれたのが「道徳の系譜」、という流れとなっている。
「道徳の系譜」はニーチェにしては珍しく論文形式であり、彼の思想がもっともまとまっているので、これから読んでみるのがいいだろう。

彼は、道徳というものは弱者によるルサンチマン(怨恨感情)の表れだとする。
「道徳における奴隷一揆」(p168)とはこのことだ。

ルサンチマンによる道徳では、まず自分たちの憎み嫉妬する相手を「悪」と規定する。
そして、その対立概念を、つまり自分たちを、「善」と規定する。
「彼はまず、<悪い敵>、つまり<悪人>を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこからしてさらにそれの模造かつ対象像として<善人>なるものを考え出す、――これこそが彼自身というわけだ!、・・・」(p397)

そこから、まさしく「弱いこと」それ自体が美徳であり善であるかのごとくされる。
「まるでそれは、弱者の弱さそのもの――いいかえれば弱者の本質、その働き、その唯一の避けがたく分解しがたい全体現実――が、一つの随意の所業、ある意欲され、選択された、一つの行為、一つの功績であるといったようなありさまだ。」(p406)

要するに、「道徳」とは「復讐」なのだ。

しかし、今の日本や世界を見る限り、このような不健全な道徳は跋扈している。
「権力=悪」であり、「マイノリティこそがすばらしい」とする偽善――そうしたことをいう人は、他者に対する倫理的優位性を確保して快感に浸っているだけ――はもう聞き飽きた。
アフォリズムの面白さ・・・ ★★★★★
 学生時代にニーチェの『善悪の彼岸』と『道徳の系譜』を読んだ時に、僕の心に残ったアフォリズムを幾つか抜粋してみます。
「いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生を厳しく見た人ではない」
「道徳的現象なるものは存在しない。あるのはただ、現象の道徳的解釈だけである」
「全ての民族は特有の偽善を持っており、それをおのれの美徳と称する」
「人はまず悪い敵を、すなわち悪人を考想する。そしてこれを基礎概念として、さらにもう一人の善人を案出するが、これこそが自分自身なのだ」
「正義の精神において占領された最後の地域は、反動感情の地域であった」
 ニーチェの言葉はとても明快なのですが、現実の世界では偽善的な道徳や正義はなかなか絶えぬもののようです。
ニーチェ入門 ★★★★★
ニーチェへの入門は「道徳の系譜」か「善悪の彼岸」が適当だろう。
「ツアラトウストラ」はわかる人にはわかるが、わからなくなると
とことんわからなくなる。
「深淵を覗く時、深淵も君を覗きこんでいる」という有名な言葉は
「善悪の彼岸」にある。ニーチェはまさに深淵を覗きこんで、深淵
に覗きこまれ、それに呑まれまいと絶望的な戦いをしている。誰も
その挑戦を理解できなかった。これは深淵への旅から帰ってきた
ニーチェの報告書である。それだけに、この書物は消化不良を起こす
と激しい下痢か嘔吐に見舞われるから要注意。ニーチェ自身も言った。
「読者に期待するのは丈夫な歯と胃袋だ」(「悦ばしき知識」)
あなたの周りの自己正当化野郎を言語化してくれる ★★★★★
 本書が、ハイデガーやバタイユのみならず、フーコーやらドゥルーズやらのポスト・モダン思想に影響を与えたのは、ムチャクチャ有名であり、哲学・思想に関心のある者にとっては必読書であるのだが、さらに本書は「実用性」もあるのだ。あなたの周りに、すぐ自分のことを自己正当化する人がいるでしょ?その中でも一番タチが悪いのは、同じ土俵では相手に勝てないと感じ取ったときに、ありもしないような次元で勝利することによって自己を正当化しようとするヤツです。たとえば、勉強では絶対かなわない相手に対して、「勉強なんてしても意味がない」などと現在の社会情勢ではまだまだ現実的でない言説を持ち出して、勉強しない自分を自己正当化するヤツとか、どうがんばっても自分よりルックスのいい子に対して、性格というどうとでも取れる指標で「あの子は性格が悪いから」と言って暗に自分は性格がいいからその子よりも上だ、というように自己正当化するオンナとか。
  ニーチェは本書で、ルサンチマン概念を核としてそういう奴らのダメさを様々な角度から言語化してくれます。いわく「道徳における奴隷一揆」「想像上の復讐によってだけ埋め合わせするような者ども」などなど。

 ストレスの溜まる相手がいて、いずれはその集団の世論を糾合して追放を画策するとしても、当面はどうにもできないようなときは、とりあえず、その困った野郎を言語化すると、多少スッキリしますからね。
 哲学書にしては断章形式で読みやすいのでオススメです。