本物の思想書
★★★★★
本書は、「無知」の問題を軸に、「真理」と「自由」の問題が展開されている。「存在と無」「弁証法的理性批判」で語られなかった可能性を示唆する。本書の「自由」概念は「存在と無」を踏襲するが、「真理」問題に繋げて、「個」から「他者」へのつながりを模索する。「贈与」による「他者」との繋がりのアイデアは研究者の間では、本書の核心となっているようだが、読後感としては、あまりインパクトは無く、事実、独我論からの脱出の手段としては説得力が無いかった。自由とは、有限性の内面化であって、いわば自身の非知(あずかり知らぬもの)を内面化し引き受けて、自身であるところのものを選択することであって、それは未だ到来せぬものから出発して今(存在)に向かう行為(投企)だ。存在への傍らへの意識の出現は即自存在の開示、つまり存在を暴き出すことになる。すると真理は、未だ到来せぬ存在から存在を暴くことであって、真理は自由なしにはありえないということになる。だが「無知」によって、「真理と知は任意なものになってしまう。」真理とは結局真理が不可能になる可能性がある地平においてありえる。別言すると「私の有限性と、真理が時間化する必然性のみが、私をとりまくこの無知の地平を構成する。」が、全く真理へと時間化されない無知も存在する。それは知られざる真理とも言うべきもので、次世代の他者にとって真理となる。だが、そういう人間の全体化=全体性の認識は、存在=真理であるような領域に到達するが、それは一人の主観による全体化である限り、結局「歴史」の中に組み込まれてしまう。人間が歴史を作り、歴史を認識しつつ自らを作る限り、真理は不可能となる。。。「個」の立場に固執しながら、神無き世界の人類のスキームを模索するその徹底振りは、今から見て改めて心打たれる。冒頭の解説は、流行の後に放棄された日本のサルトル研究を補う簡潔で親切な内容。サルトル未完作品の翻訳が待たれる。