「実存主義はヒューマニズムである」というのが本書の原題です。でも、今哲学がヒューマニズムを語るには、勇気が必要かもしれません。神は死んだ、というのが現代哲学の大前提です。ここからサルトルは、神が存在しない以上人間が神に代わらなければならない、と主張しました。でも、人間には到底神の代理などできそうもありません。そこで、同じ、神の死、という大前提から、人間の死、という正反対の考え方が提出されました。いわゆる構造主義です。マルクスやフロイトにはもともと、人間主義の他に構造主義的な面もありますから、彼らはそれなりに構造主義の時代にも生き延びることができましたが、サルトルの場合は人間主義が強すぎたのでしょうか? それにしても、サルトルの哲学は本当に時代遅れなのか?
おそらくはアインシュタインの「相対性理論」やゲーデルの「不完全性定理」などからの連想で、真理や正義は相対的なものだ、と考える人たちがいます。たとえばフーコーは<司牧者権力>というような問題提起をして、権力の裏面を暴いて見せました。それはその通りに違いありませんが、このような捉え方は、権力構造はいつでも逆転し得る、という相対面を強調しすぎる結果、現に存在している、たとえば国家権力のような圧倒的な権力を見えにくくしてしまう側面があります。マルクス主義者でもあったサルトルには、到底認められない考え方だったに違いありません。
本書は、かつて一世を風靡した実存主義の入門書です。